(その三)因縁

鹿ヶ谷哲夫は京都の歴史を語り出した。
「古く京都は、しばしば中国王朝の都となった洛陽に因み、京洛、洛中、洛陽などと言われた。
平安京を東西に分割し、西側(右京)を「長安」、東側(左京)を「洛陽」と呼んでいたのである。
ところが、右京すなわち「長安」側は湿地帯が多かったことなどから廃墟化し、市街地は実質的に左京すなわち「洛陽」だけとなった。
このため京都を「洛陽」と呼ぶようになったわけである。
京の都に上ることを上京、上洛と言うが、現在でも京都以外の地方から京都へ行くことを「上洛する」「入洛する」と言われて、東京から京都に行く場合でも上京すると言うのが正しい。
京都は、桓武天皇が784年(延暦3年)の長岡京に続いて、794年(延暦13年)平安京に遷都したことに始まる千年の都である。
京都に都が移された理由は諸説あるようだ。
長岡京の建設責任者であった藤原種継が暗殺されたため、南都寺院の影響から脱するためという説もある。
天武天皇系の都を脱して天智天皇系の都を造るという意図説もある。
わたしは後者の意図説が真実だと思っている」
天智天皇と天武天皇は兄弟だと思い込んでいた恵美子は、鹿ヶ谷哲夫の話を聞いて驚いたが、以前から疑問に思っていたことを思い出したのである。
『そう言えば、天皇家の菩提寺である御寺はんには天武天皇系の位牌だけがないと聞いて、なんでやと思ったことがあるわ・・・』
恵美子はどうしても、この点のことを聞いてみたい衝動に駆られた。
「泉涌寺には天武天皇系の位牌だけが外されているのは、それが原因でしょうか?」
鹿ヶ谷哲夫の表情が変わった。
「その話は何処で聞いたのかね?」
恵美子は祇園の教育で教わったと思い込んでいたが、実は、母親の倫子から聞いたことを、その瞬間(とき)思い出したのだ。
『ああ、そうやった!』
事実を言っていいのか迷っていると、藤堂頼賢が代わりに言ってくれた。
「彼女の母親から聞いたそうです」
「彼女の母親は祇園で太夫までなった人です」
鹿ヶ谷哲夫は納得した様子で表情が穏やかになった。
「それでは、征夷大将軍と同じ従五位を授かったのかね?」
恵美子は肯いた。
「そうだったのか、あなたはそういう血筋だったのか・・・だから畑姓なのか・・・」
恵美子の全身に鳥肌がたった瞬間だった。