(その二)天使と閻魔

「もしもし、恵美子どすけど・・・」
恵美子は輪違屋から藤堂頼賢に電話をした。
彼女から電話するのは、はじめてのことだ。
嘗て、電話をせずに手紙を認めたのも、彼女の臆病さと警戒心の強さからであったのに、今の彼女には臆病さも警戒心も失せていた。
“魅は、与を以って生じ、求を以って滅す”
この世の心理だ。
この世の心理に当て嵌った時が、魔がさす絶好の機会だ。
恵美子の藤堂頼賢に対する一貫した姿勢は与える精神だった。
それが、藤堂頼賢にとっての恵美子の魅力になっていたのである。
「うち、近いうちに病院に行こう思てるんどすけど・・・」
平八茶屋で別れ、倫子に釘を刺され、堕胎することを決心しても、藤堂頼賢に何も言うまいと覚悟していたのに、聡への失望感がすべてを狂わせてしまった。
堕胎手術するためには相手の同意書が要るというこの世のルールが、更に、恵美子の判断を狂わせた。
「・・・・・・・・・」
藤堂頼賢が無言の返事をした瞬間、恵美子はやっと自分を取り戻した。
『しまった!』
『しまった!』と自覚した瞬間(とき)には、魔が既にさしている。
『恐ろしい!』
藤堂頼賢という青年が、男も人間も年齢も超越した大きな存在であることを、改めて、思い知らされた。
「・・・・・・・」
言葉のある言葉を発する人間は、ただの人間である。
天使だ。
言葉のない言葉を発する人間は、ただの人間でない。
閻魔だ。
言葉のない言葉を発する生きものは、ただの生きものである。
天使だ。
言葉のある言葉を発する生きものは、ただの生きものでない。
閻魔だ。
恵美子は藤堂頼賢に再び閻魔を観た。
「ガチャ!」
受話器を降ろした彼女の顔は真っ青だった。