(その二)失望と希望の渦

恵美子は兄の聡に失望した。
だが、失望するということは希望を持っていたということに、彼女はその時気づいていなかった。
男女の恋愛は愛憎の繰り返しに過ぎないことに気づいていなかった。
芸妓という男のエゴを満たす職業をしていても、男女の恋愛は愛憎の繰り返しであることを理解するのは難しいのである。
男の我がまま放題を許す女なら、男の中に女に対する愛しさと憎らしさが常に混在している場面を嫌というほど見てきた筈だ。
これが夫婦になると完全に醜い仮面舞踏会になり下がる。
如何なる大恋愛の末の結婚であっても、結婚したが最後、醜い仮面舞踏会になり下がる。
よくよく考えてみたら、ごく当たり前の話だ。
結婚したら結婚届けを役所に提出する。
それをしなかったら結婚ではなくて同棲に過ぎず、いつでも自由に解消できる。
結婚は契約事だ。
“わたしはあなたを一生必ず愛します”
教会の牧師の前で結婚の誓いをすること自体が嘘の始まりだ。
未だ来ぬ未来のことをどうして今約束できるのだ。
契約事は過去と未来を固定することであって、所詮、不可能な事だ。
未来の確定事など死以外にない。
“自分も必ずいつか死ぬ”と“わたしはあなたを一生必ず愛します”は同じ騙りだ。
未来に“必ず”など断じてない。
あるなら、未来から過去へ流れる時間もあるはずだ。
未来に起こる死を知るということは、その証明でもある。
若しくは、死は未来にあるのではなくて、『今、ここ』にある証明だ。
“『今、ここ』のわたしは『今、ここ』のあなたを愛します”
これが真実の愛の言葉だ。
“明日のわたしが明日のあなたを愛するかどうかは約束できない”
これでは、結婚届けを役所に提出することはとうていできない。
恵美子が聡に失望したということは、希望を持っていた証である。
自己の内面と常に対話していれば、こんな真理は至極当然の理であり、それが、藤堂頼賢に対する裏切り行為であることもわかったはずだ。
しかも、藤堂頼賢という怪物に対する裏切り行為は、たとえそれが悪意でなかったにせよ、恵美子が如何なる自己犠牲を図っても埋め尽くせない大罪を犯したことになる。
嘗て島原の太夫だった母の倫子なら、そんな男の誇りを充分理解できたはずだが、所詮はまだ新米に毛の生えた程度の芸妓の恵美子には無理な要求だったのかもしれない。
倫子が自分の家族に対しても時折見せる黙殺する姿勢こそが、今の恵美子が聡に見せつけるべきものだったのであるが、彼女は失望する姿勢を取った。
その結果、折角の決意が齎した成果を水泡に帰させることになるのである。