(その二)変節

見た目は何の変哲もない人間でも、意識は虫になっているのが殆どの人間である。
聡もその仲間入りをした。
人間社会には、人間が虫に変身する場合と、虫が人間に変貌する場合があるらしい。
変身と変貌の本質からして、人間社会の本質は人間にあるのではなくて、どうやら虫にある虫社会なわけだ。
誰でも七歳までに、虫が人間になるか、人間が虫になるかの分岐点に至る。
そういう点において、21歳でやっと分岐点に達した聡は幸いだったと言えるかもしれない。
人間にとって「七」という数字はあらゆる面で大きな意味を持っているらしい。
身体のバイオリズムは七年周期である。
肉体のバイオリズムのみならず精神のバイオリズムも七年周期であるわけだ。
「七」という数字は実証的のみならず象徴的でもあるからだ。
象徴的である理由は、「七」という数字が割り切れないからであり、「二元論」に近づくためには精々「三」と「四」にしか分けられない点にある。
「一」と「六」
「二」と「五」
「三」と「四」
の三種類の組合わせしかない。
だから、世の中の法則は、「三の法則」と「七の法則」になる。
「二元論」という部分観は所詮、「三」と「四」という究極の不完全な分離であって、完全な分離は不可能であり、全体感だけが可能であることを示唆しているのである。
聡が、21歳で分岐点に達したことは、仏教の開祖である釈迦が28歳で人生の分岐点に達したのと同じ現象なのであって、多くの人間は「七歳」で達する。
人生の分岐点とは、人間から虫になる分岐点に他ならず、出来るだけ人生の晩年期に近いところで分岐点に達する方がいいようだ。
理想は一生分岐点に出会わないことだ。
ところが、殆どの人間が七歳までに、人間から虫になる時期に遭遇する。
不運なことだが、それはまさに人災である。
人間と虫は一枚のコインの裏表の関係にある。
虫から人間になる。
人間から虫になる。
コインの表から裏になる。
コインの裏から表になる。
この現象を「変節」と言う。
「聡兄さんは、まだ今でもうちのこと欲しいんどすか?」
恵美子の胸襟を開いた問いかけが、虫の意識になった聡の小さくなった心にやっと届いたらしい。
「藤堂頼賢の子を産むつもりなんか?」
その出し抜けの言葉が恵美子の心を一刺しした。
恵美子には天の邪鬼の性格があることは本人も自覚している。
生まれ持った性格なのか、育ちの所為なのか、今となっては大した問題ではないが、彼女の人生を左右しかねない性癖だ。
倫子に婉曲的に釘を刺され、堕胎する決意をしていたが、聡に逆釘を刺され、決意が鈍ってしまった自分を観たのだ。
「なんのことどすか?」
口面では白を切ったが、内心では逆のことを思っていた。
天の邪鬼な人間は、情にも脆いものだ。
相手が弱みを見せると、その気がなくても情に絆される。
まるで正反対のことばかりをする。
心にもないことでも、毛嫌いしている相手でも情に絆される。
人生真逆さまだ。
聡の次の言葉を待っている自分に嫌気が差していた直後に、致命的な一言が発せられた。
「犬は一回でも雑種の血で汚されたら、たとえ妊娠せえへんでも、もう純潔種ではなくなるんやで・・・」
恵美子は、聡の意図が何辺にあったのか重々承知していたが、余りにも姑息なオスの発想を許せなかった。
「それより、これからどうしはるんどすか?」
無理やりにでも話を逸らした。
「大学を止めて、家も出るわ!」
恵美子は聡の大胆な発言に吃驚したが、ここでも天の邪鬼な性格が出た。
「勝手にしなはれ!」
『どうせ虫に変節したんやから!』