(その二)闇の哲学

『今はこの人に随いていくしかあらへん・・・』
恵美子は泉屋博古館の前から鹿ヶ谷通りを早足で急ぐ藤堂頼賢の後姿を見ていた。
「「哲学の道」を歩いたことあるか?」
突然彼が訊いてきた。
恵美子は一瞬、兄の聡のことを思い出した。
聡が京都大学哲学科に入学した年に、彼に誘われて一緒に歩いたことがあったからである。
『この人には姑息な小手先は利かへん・・・』
そう自分に言い聞かすと、恵美子は首を縦に振った。
「そうか・・・」
藤堂頼賢は悟ったらしく、それ以上何も言わず、更に早足で鹿ヶ谷通りから東山連峰の方へと逸れて行った。
『今はこの人に随いていくしかあらへん・・・』
ほんの一寸前に思ったことが蘇ってくる。
一瞬前ではなく一寸前であるのが摩訶不思議だ。
一瞬前の追憶なら時間の問題だが、一瞬前に思った事柄の索引は泉屋博古館の前で引き出されるのであって、一瞬前とか1分前といった時間の索引ではない。
追憶の索引は時間ではなく、光景(空間)であるから、一寸前なのである。
恵美子は、そんなインスピレーションが藤堂頼賢と一緒にいると頻繁に湧いてくることに、摩訶不思議さを感じた。
そうすると、胸の中で囁いている言葉が途轍もなく大事な意味を持つことに気づくのである。
『今はこの人に随いていくしかあらへん・・・』
藤堂頼賢はどうやら恵美子を哲学の道に連れていくつもりらしい。
哲学の道は桜並木でも有名だ。
春を前にして蕾からピンク色の花弁が顔を覗かせている。
恵美子にとっては哲学よりも、桜の花の方が感動を与えてくれるのだが、藤堂頼賢はまるでそんな情緒がない。
「藤堂はんは、なんで哲学を学んではるんどすか?」
兄の聡も哲学を学び、好きな男性も同じ哲学を学んでいるのに、彼女は哲学にまったく関心がなかった。
女がそもそも哲学に興味を持つ方がおかしいのかもしれない。
ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボアールの関係が、男と女を哲学で結ぶ唯一の例として挙げられる。
ボーボアールはソルボンヌ大学で哲学と文学を学ぶ才媛であったが、彼女が21才の時に3才年上のジャン・ポール・サルトルと出会った。
ジャン・ポール・サルトル24才である。
その時、彼女はジャン・ポール・サルトルを称してこう言った。
「自分より完全な自分と同じような人間」
彼女は男と女の関係について語っている。
「結婚は二人が望めば自由に解消され、母となるのもまた自由である。結婚しているかどうかに拘らず、どのような母子にも平等な権利が与えられる」
1930年代の話である。
恵美子の問いかけに藤堂頼賢は何も答えなかった。
『それが男の返事なんや・・・』
これから会う「あの人」が恵美子の問いかけに答えてくれる唯一の人物であると、藤堂頼賢は言いたかったのである。
それは、「闇の哲学」であった。