(その二)ホンモノの哲学者

ふたりは鹿ヶ谷通りの一方の端になる泉屋博古館の前までやって来た。
紅葉で有名な永観堂はすぐ近くにある。
鹿ヶ谷通りのもう一方の端が銀閣寺で途切れて今出川通りへと繋がっていき、そのまわりを「哲学の道」が囲み、多くの古書店がところ狭しと軒を出している。
大学で哲学を専攻している藤堂頼賢、服部崇、そして畑聡にとって「哲学の道」と多くの古書店は、大学のキャンパス以上に想い入れの深い場所だ。
京都の水道の源泉として琵琶湖から引かれた水を鴨川まで運ぶ間にあるのが琵琶湖疎水であり、その堤の両側の歩道が「思索の道」と呼ばれていた。
京都大学の西田畿太郎がこの「思索の道」を散策したことから、いつしか「哲学の道」と言われるようになったというのが定説である。
定説は所詮定説の域を超えることはできず、事実を伝える迫力はない。
京都が日本の哲学のメッカである根拠は、西田畿太郎を筆頭とする京都大学の哲学の重鎮たちに負うところ大と言うのは単なる定説に過ぎず、事実は藤堂頼賢が「あの人」と言っている人物が主人公なのである。
明治維新後に日本の富国強兵策の一環として人材の育成が叫ばれた。
ヨーロッパのドイツ、フランス、ロシアで誕生した啓蒙思想に啓発された結果だ。
明治17年に東京帝国大学が設立され、明治30年に京都帝国大学が更に設立され、その後、東北帝国大学、九州帝国大学、京城帝国大学、台北帝国大学、大阪帝国大学、名古屋帝国大学が次々と設立されていった。
目的は欧州で誕生した啓蒙主義の猿真似である。
啓蒙思想という総論が猿真似なら、各論も猿真似なのは当然だ。
法学も経済学も各論の中の猿真似なら、哲学も各論の中の猿真似に過ぎない。
啓蒙思想を生んだドイツ、フランス、ロシアの哲学は合理主義哲学であったから、日本の帝国大学での哲学も、イギリス、延いては、アメリカと引き継がれる自由主義に基づく「知は力なり」と謳ったフランシス・ベーコンの帰納法的経験主義哲学ではなく、当然のことながら、「方法序説」のレーネ・デカルトや「純粋理性批判」のエマヌエル・カントの演繹的合理主義哲学の猿真似になる。
意味不明な演繹的展開を駆使する西田畿太郎を筆頭とする京都大学の哲学の重鎮たちは、所詮、ドイツ、フランス、ロシアの哲学者たちの合理主義哲学の猿真似である。
そういった欧州かぶれの日本人識者の中で、ひとり際立った人物がいた。
それが「あの人」なのである。