(その二)逆反逆児

極めて特殊な地域である京の都の南東部で生れ育った藤堂頼賢は、稀代の盗賊、石川五右衛門の末裔の血と源氏の反逆児、源為朝の過去生という地縁・血縁が相俟った、極めて稀な運命の糸の絡みで誕生した怪物である。
更に奇跡的な偶然が重なった結果、従来の反逆児とは真逆さまの、いわば、逆反逆児が誕生した。
反逆児というのは常に反体制側に与し、体制側に反逆するものだが、逆反逆児は反体制側にも与しないで、体制側にも反体制側にも反逆する孤立無縁の化け物しかできない芸当である故に怪物なのである。
革命は更なる革命を呼ぶ。
反逆児が支配者になるからだ。
キューバをアメリカの支配から解放した革命児、チェ・ゲバラこそ逆反逆児だった。
チェ・ゲバラと共に親米バチスタ独裁政権を倒して、その後、支配者になったフィデル・カストロは反逆児であっても、逆反逆児ではなかった。
差別が逆差別を呼べば、差別されたものが差別するという悪循環に陥る。
仇打ちが更なる仇打ちを呼ぶという、際限のない泥試合になるのと同じメカニズムだ。
差別が逆差別を呼ぶのは、欲望が逆欲望を呼ぶのと同じ構造だ。
人間の祖先であるアダムとイブがエデンの園から追放された理由が、善悪の判断をする禁断の実を食べたからだが、この話は一体何を象徴しているのだろうか。
“これは善いが、あれは悪い”という判断を一切するな!ということを言っているのだろう。
差別をすることが悪いという判断をするな!ということを言っているのだ。
そうすれば、必ず、逆差別が生じてしまい、仇打ちが更なる仇打ちを呼ぶという、際限のない泥試合になるからだ。
文明社会の黎明期からあった差別問題が現代社会に至っても、一向に解決されないで、ますます泥試合になっているのは当然の帰結である。
長年差別をされてきたことを以って、まるで腫れ物に触るように過剰な神経を使い、特別扱いする。
逆差別の一瞥が表象するきっかけがここにある。
差別をしたことが確かに最初の卵であったが、逆差別をする鶏が際限なく卵を産み続ける問題の方が遥かに深刻であることを、差別社会をつくってきた人間社会はもういい加減気づくべきだ。
藤堂頼賢は小さな子供の頃からこの矛盾に気づき、伏見という、自分の生れ育った土地に嫌悪感を抱いていたのだが、いまその負のエネルギーが爆発しかけているのである。