(その二)吹き溜まり

伏見は特殊な地域だ。
世間一般の常識がまるで通用しないのである。
人間社会では常識と非常識の二層構造の社会が必ず構成され、常識の社会が表面であるのに対して、非常識の社会が裏面になるという一枚のコインを形成する。
一枚のコインゆえに、分離することは絶対にできないという自己矛盾を内包する。
いわゆる、不条理の罷り通る社会になり、延いては、差別・不条理・戦争を繰り返す社会になる。
人間社会だけにある自己矛盾の社会である。
条理が不条理を呼び込み、差別が逆差別を呼び込むのは必然の結果であり、その結果、人間社会には、必ず、特殊な地域が発生する。
欧米先進社会にはスラム街という特殊な地域が各都市に必ずある。
大抵が鉄道の中央駅の裏側か空港の裏側に何故かある。
いわゆる人が集まる所に生じる吹き溜まりの場所だ。
アフリカの原住民を運び出して、新世界のアメリカで家畜以下の奴隷として酷使するようになったのが黒人差別問題の原点だ。
その結果、本来、性格が穏やかな黒人種が、アメリカでは凶暴な人種となり、スラム街をつくっていった。
世界一の犯罪大国になったアメリカの犯罪の大半は、黒人によって惹き起こされたものであることは事実である。
まさに、鶏が先か、卵が先かの論理だ。
黒人ばかりが犯罪を冒すから差別するのだ。
差別する側の白人の鶏の論理だ。
差別された黒人は行く場を失って犯罪に手を染めるのだ。
差別される側の黒人の卵の論理だ。
差別の現象は、専制主義の国家に起こる。
逆差別の現象は、民主主義の国家に起こる。
こういった人種差別問題の鶏か卵かの論理が、更に逆差別問題を惹き起こし、事態を更に複雑化していく。
日本においても、人種差別問題が平安時代から存在したらしい。
平安時代が持つ特殊性が一種独特の差別問題を生んだわけだ。
京都という町の特殊性が大きくその陰を投げかけている。
貴族政治の平安時代から、武家政治の鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代と経ても、日本の都は京都であり続けた結果、その特殊性は更に磨きをかけていった。
日本における差別問題の歴史の進化過程だ。
1200年続いた西の京の都が、明治維新によって東の京の都に遷った結果、逆差別の歴史が始まった。
明治、大正、そして、昭和20年に太平洋戦争敗北までが、逆差別の潜伏期間とするなら、昭和20年以降が、逆差別問題が発症した時期である。
世界の動きに呼応するように、日本の動きも変化する。
まさに、「第三の軸の時代」到来だ。
「吹き溜まり」が解消されるための、夜明け前の真暗闇の時代だというわけである。