(その二)落し前のつけ方

服部崇に対する処遇が、藤堂高順と中西誠の間で決められた。
過去三百数十年続いた慣習に基づくものだった。
“目には目、歯には歯を”の慣習は、聖書の世界だけでなく、遥か東の果ての日出る処にまで及んでいたのである。
現在でも、イスラム世界では、“目には目、歯には歯を”の刑罰を与えるのが常識だ。
二十世紀初頭までオスマントルコ大帝国の首都であり、その前、千数百年間は、東ローマ帝国、更に、神聖ローマ帝国の首都だったコンスタンチノープルは、今ではトルコのイスタンブールだが、街中でこそ泥の手首を斬り落とす公開処刑が現在においても頻繁に行われる。
千二百年間、日本の首都を続けた京都と相通ずるものがある町は、イエルサレムとコンスタンチノープルだけである。
サウジアラビアの商都ジェッダで、イギリス人が交通事故を起こして、サウジアラビア人の男を車で轢き殺した。
即刻、公開裁判が行われ、そのイギリス人は有罪判決を受けた。
裁判長が遺族の女にイギリス人の処刑方法を問うたら、その女は、夫を轢き殺した車で、そのイギリス人を轢き殺して欲しいと裁判長に要求した。
女の要求を受けて、裁判長は即刻公開で、そのイギリス人を同じ車で轢き殺させた。
これが、“目には目、歯には歯を”の慣習を持つ国だ。
“目には目、歯には歯を”の慣習を持つ国では、犯罪は殆ど起こらない。
罪と罰が間尺に合わないからである。
現代日本社会を筆頭に、民主主義を標榜する先進国では、罪と罰が間尺に合い過ぎて、“やったもの勝ち”になっている。
嘗ては、日本でもその慣習があった。
その慣習を消滅させた張本人が豊臣秀吉と徳川家康である。
差別・不条理・戦争が人間社会を堕落させた最大の要因だが、それは「オス社会」ゆえのものだった。
「鳴かずば殺してしまえ、ほととぎす」の織田信長はそのことを理解していた。
「鳴かずば鳴かせてみせよう、ほととぎす」の豊臣秀吉はそのことを理解していなかった。
「鳴かずば鳴くまで待とう、ほととぎす」の徳川家康もそのことを理解していなかった。
織田信長は信賞必罰を徹底したから、「鳴かずば殺してしまえ、ほととぎす」になる。
つまり、自然社会を第一義、つまり、自分を空しくしている証拠だ。
「鳴かずば鳴かせてみせよう、ほととぎす」の豊臣秀吉や、「鳴かずば鳴くまで待とう、ほととぎす」の徳川家康は、人間社会、つまり、自分を第一義にしている証拠だ。
“目には目、歯には歯を”の慣習は、人間社会を第一義にするのではなく、自然社会を第一義にしている。
服部崇の片足を切断するという形で落とし前をつけるという結果になった。
その理由は、中西誠の孫が全治3ヶ月の足の怪我をした上に、不具者になる可能性が極めて高いことからだ。
藤堂頼賢は父の藤堂高順に、子供の実際の怪我の状態を追求したが、明確な解答は得られなかった。
「そんな理不尽な決定はないやないですか!」
食い下がる藤堂頼賢に対して、父親はきっぱり答えた。
「相手が子供やから、問答無用なんや!」
「それが、“目には目、歯には歯を”の鉄則なんや!」
父親の抑え込むような発言に藤堂頼賢は遂に切れた。
『もうこれ以上我慢ならん!』
今までにもこういった理不尽な掟に地団駄踏んだ結果反逆児になってしまった上に、今回の事件が自分の所為であったことが、彼に決定的な決断を下すことになっていくのである。