(その二)平家 対 源氏

聡は腕時計を見た。
『5時になった!またか!』
上賀茂神社でのことが脳裏を掠めた。
「俺に一体何の用や!」
背後から、腹に響くドスの利いた声が聞こえた。
藤堂頼賢が遂に聡の前にその姿を現わしたのである。
『後ろを振り返るだけで、既にハンディキャップを背負うことになる・・・』
聡は咄嗟に考え、じっとしていた。
「こっち向けや、何もせえへんから・・・」
自分の心を見透かすように藤堂頼賢は言ったが、聡は依然じっとしている。
上賀茂神社で見た傀儡のイメージが焼きついていて、そのイメージとのギャップが、自分に如何ほどの衝撃を与えるか、その差は計り知れないから、じっとしているしかないのである。
「上賀茂神社でもう会ってるやないか、何をびびってんねん!」
ドスの利いた声に笑いが篭められている。
「ええ!?」
内なる叫びだったつもりが、外なる鳴咽になっていた。
『そうやったんか、またやられたんや!』
聡は再び敗北感に襲われた。
一回目の敗北感はそれほど聡に打撃を与えなかったが、今回のショックは強烈なクロスカウンターパンチだけに、計り知れない打撃である。
ボクシングで相手に決定的な一撃を与えるには、クロスカウンターパンチが一番有効だ。
カウンターパンチとは、相手が先に撃ちにくることが条件である。
相手が撃ちにきた直後に、逸早く、撃ち返すのがカウンターパンチだ。
クロスカウンターパンチは、カウンターパンチに加えて、相手のパンチの力を利用するから、相手に与える衝撃は倍加するが、下手をすると逆に自分に返ってくる危険な攻撃でもある。
藤堂頼賢の放ったパンチはクロスカウンターパンチだったのである。
強烈なクロスカウンターパンチを食ってダウンした聡は、意識朦朧としていた。
『端から、問題外の戦いやったんや・・・』
何事も最終段階に入ると、走馬灯の追憶劇が回り出す。
人生の最終段階は死だ。
死に際すると、走馬灯の追憶劇が回り出す。
点が円運動を開始して円という映像を映して最期に元の点に戻るのが、誕生・生・死という円回帰運動である。
死という最終点に着く直前、つまり、今わの際に、一周した円周という映像が走馬灯に映し出される。
映像を現実だと錯覚してきたことに最期に気づかされるのが、走馬灯の正体だ。
自分という意識が消えてゆく瞬間だ。
聡の自分という意識が消えてゆこうとしていたその瞬間、雷が落ちた。
雷は沈黙の光が先にやって来て、その後、音がついてくる。
音がついた時には既に遅い。
沈黙の音が先にやって来ている。
頭でっかちの聡には、理解できない世界だ。
意識朦朧の中で、聡は藤堂頼賢の陵辱を受けていた。
それはこの世的には長い時間であったが、所詮、映画の中の話である。
ノックアウトを食らって、試合の控え室に戻った聡の意識が戻ると、目の前に恵美子の顔があった。
「聡兄さんも、うちと同じ目に遭ったんどすな・・・」
去年の成人式で藤堂頼賢に出会って以来のこの一年間を思い出しながら、聡の気持ちが痛いほどわかった。
当の本人は、まだ、余韻が残っている所為か、何が何だか訳がわからない状態だった。
「平家が、一谷の決戦や壇の浦の合戦で源氏に負けた時は、こんな気持ちやったんやろか・・・」
聡は、恵美子の言っている意味が何を意味しているのか、わかるべくもなかった。