(その二)一寸先は光

藤堂家の邸に戻った恵美子は、「石川」と書いた表札の下にあるチャイムを躊躇なく押した。
10秒ほど返事はなかったが、「はい」という返事の主が懐かしい声だったことで、彼女は戻って来た甲斐があったと思った。
「あのう・・・」
だが何を言っていいのかわからない。
「ちょっと待ってんか、すぐに行くから・・・ガチャン!」
何か急いでいる様子の藤堂頼賢だったが、5分も経たないうちに、門の扉が開いて彼は姿を現わした。
「何で引き返したんや?」
恵美子は、彼の言葉を充分理解できないまま返事することは危険極まりないことを重々承知しているから、下を向いたまま熟考した。
『うちが引き返すて、どういうことやろ?』
「お前が引き返すから、しょうがなく服部に連れ戻すように行かしたのに、余計なトラブルに巻き込まれて、いま大変や!」
彼の説明で、恵美子は事情をやっと察した。
「すんまへん!うちがここへ来てたこと知ってはったんどすか?」
藤堂頼賢は頷いた。
「それより、服部はんは大丈夫どすか?」
さすがの彼も溜息まじりで、事情を話はじめた。
「怪我をさせた子供の家が問題なんや!話はややこしいて、うまく言われんわ!」
「まあ中に入れや!」
いつもの怒っている様子はなく、寧ろ、滅多にない藤堂頼賢の困惑している姿に却って異常さを感じた恵美子は、自然に襟を糾してしまった。
玄関を上がったすぐ横に応接室があったが、藤堂頼賢は中を覗いただけで、すぐにドアを閉めて、居間の方に恵美子を案内した。
彼が居間の障子を開けると、こたつに入っていた老夫婦が恵美子の方に微笑みかけてきた。
「外は寒おまっしゃろ!さあ中に入んなはれ!」
「おれの爺ちゃんと婆ちゃんや!」
恵美子は、藤堂頼賢の両親かもしれないと一瞬思い緊張しただけに、その反動で老夫婦により以上の親近感を持った。
「ああ!失礼しました。畑恵美子と申します・・・」
恵美子は咄嗟に障子の桟に足の指を掛け、前屈みに座って三つ指をついて老夫婦に挨拶をした。
「虎からあんたのことはよう聞いてまっせ!」
祖父が藤堂頼賢の方を見ながら言う。
「お若いのに礼儀正しいおひとやな!」
祖母が恵美子に優しく微笑ながら言う。
「虎って、おれのことや!」
藤堂頼賢が祖父の方を見ながら言う。
三人三様に歓迎してくれている様子に恵美子は一先ず安堵した。
「ちょっとここで、待っててんか!」
そう言うと、孫の虎は障子をピシャ!と閉めて出て行った。
「まあまあ、相も変わらず礼儀のしらん子やな!」
祖母が微笑ながら言うのを聞いていた恵美子は、老夫婦の言葉とは裏腹に、孫の虎に対する愛情を感じとっていた。
「なんで虎って言うんどすか?」
彼女もやっと緊張の糸が解れてきたらしい。
「ほんまは、『よりかた』なんやけど、子供の時分から独りでおるのが好きな子でな・・・ほんで、いつも独りで生きておる虎から、そう呼ぶようになったんえ」
祖母が嬉しそうに応えてくれた。
藤堂頼賢の新しい一面を知ったことが余ほど嬉しかったのか、恵美子は思わず涙を流してしまった。
彼女の様子を見ていた祖父が、心配そうな表情で恵美子を見つめて言った。
「だいじなからだやさかい、厭いなはれや!」
「そうえ!だいじなからだやさかい・・」
祖母も祖父に相槌を打ちながら言った。
『ほんまに戻ってきてよかった・・・』
恵美子はしみじみ思った。