(その二)藤堂家の秘密

恵美子は藤堂頼賢に直接会って、“自分は一体何者なのか?”、“自分は一体何をしたいのか?”を問うてみることが何にも増して大事であることは重々承知していたが、何分時間がない。
電話では却ってお互いの真意が伝わらない。
手紙なら自分の真意を伝えることはできるが、やはり、時間がない。
『“虎穴に入らずんば、虎児を得ず”という諺もあることやし・・・』
恵美子は何を思ったか、伏見の藤堂頼賢の実家を事前に連絡もせずに尋ねてみることにした。
芸妓という仕事をしていても、やはり、女だ。
女の性が頭を擡げたのだ。
竹田街道は洛内から洛外へ出て奈良に向かう昔からの道だ。
洛内の最後の曲がり角から伏見に入る場所に、天皇家の菩提所の泉涌寺がある。
京都市東山区の最南端に位置して伏見区と接している。
京都御苑の北側の中心に御所があり、その南東に仙洞御所があり、更に南東に後桜町上皇の栗田御所、そして、後白河上皇の離宮と天台宗妙法院と繋がり、更に南東に伏見があるが、伏見に接しているのが天皇家の菩提所の泉涌寺というのも奮っている。
まさに、1200年の都を誇る平安京の光の一条が差す陰の部分だ。
東西大通りを指す一条から十条の先に泉涌寺があって伏見がある。
築城の名手豊臣秀吉が伏見城を建てた真の理由は、御所を睨む位置に彼が造った聚楽第を甥の関白秀次に譲った後に、自身の子・秀頼が生まれたことで、秀次追い落としの目的で築城されたものだ。
聚楽とはそもそも聚洛のことを言い、聚、つまり、大衆の集まる都、京のことを指して、入洛とも言う。
聚洛は聚落が語源で、人の集まる村落、集落のことである。
そんな想いまでして造り上げた聚楽第をいとも簡単に秀次に払い下げ、挙句の果てに、聚楽第の主人を抹殺してしまう。
大閤という男は骨の髄まで人蕩術に徹した男であり、被支配層から這い上がって天下を取れた最大の要因が、錬金術よりも人蕩術に重きを置いたからだ。
金を湯水の如く使い切る。
人蕩術の奥義だ。
今大閤と言われた男もやはり、錬金術よりも人蕩術に重きを置き天下を取ったが、最後は拝金主義に滅ぼされた。
伏見は、大閤という男との因縁が今でも色濃く残っている。
その代表が藤堂家なのである。
藤堂家の邸を探して伏見まで来た恵美子だったが、肝腎の藤堂家が見つからない。
住所を当てにやって来たが、住所の主人の名前が藤堂ではないからだ。
『へんやわ?同じ住所やのに、「石川」はんという名前になっていて、どこにも「藤堂」なんてあらへん・・・』
ちょうど、着物姿の中年の女性が通り掛かったので、彼女は訊ねてみた。
「すんまへん!この辺に藤堂はんていうお家ありまへん?」
中年女性は不思議そうな顔をして恵美子を見て答えた。
「ここがそうどすえ!」
「石川」という表札の大きな門の家を指さして言ったのだ。
「やっぱりここどすか?『石川』はんて表札があるけど・・・?」
中年女性はますます不思議そうな顔をする。
『そんなことも知らないのか!?』といった表情だ。
「石川はんが藤堂はんって当たり前どすやろ?」
中年女性は捨て台詞を吐くようにして、その場を足早に去って行った。
恵美子は、常識では考えられない世界に遭遇したような錯覚に陥りながら、「石川家」の前で一瞬立ち竦んだ。