(その二)第二ラウンド

恵美子は母親の倫子から蜂の一刺しを受けて、藤堂頼賢に何も言わずに堕胎することを決意した。
聡はそんなことも露知らず、来る1月31日の準備に余念がない。
秀才は、身体の経験より頭の知識を重んじるから、どうしても部分観に陥る。
知識は脳だけの問題で、身体全体の問題ではないから、部分観に陥るのは当然である。
天才は、頭の知識よりも身体の経験を重んじるから、常に全体感にいる。
藤堂頼賢という天才と、畑聡という秀才の闘いは、全体感と部分感の闘いと言い換えてよいから勝負はする前から決まっていた。
問題は部分感の気づきに掛かっているのだが、そんな深遠な真理に気づくには、聡は余りにも経験不足で若すぎた。
そして、1月31日という日がやってきた。
聡は、自分から誘いを掛けただけに、約束の5時前に下鴨神社の参道に足を踏み入れた。
下鴨神社は、上賀茂神社と違って、広大な敷地を擁し、鳥居までの参道が長い。
その参道の横手に「糺すの森」がある。
源氏が罪の懺悔に下鴨神社の別社のひとつである河合神社に参ったのがきっかけで、泉川が滔々と流れていた「糺すの池」の辺りを「糺すの森」と名付けた。
「糺すの池」に流れ出る泉の源泉は太秦の「元糺すの池」にある。
木嶋神社、通称、「蚕の社」と呼ばれる小さな神社の中に「元糺すの池」があり、その泉の湧き場所に「三つ柱の鳥居」という奇妙な鳥居があって、キリスト教の原点である「三位一体説」を表現していると言われ、「元糺すの池」はバプテスマの洗礼の池だと言う。
「蚕の社」の宮司が、代々服部姓だというのも象徴的だ。
服部姓は秦一族の支流の一つとされ、平家とも深い関係にある。
聡の姓である畑も秦一族の支流であることを、聡自身は知らなかったが、彼が「糺すの森」を指定したのも象徴的なら、その相手である藤堂頼賢が源為朝の生まれ変わりであるのは偶然なのだろうか。
それとも、何かの因縁が働いているのだろうか。
壇の浦の合戦で平家が敗れて以来800年以上経っても、源平合戦は続いていると言うのか。
大晦日恒例の紅白歌合戦も、源平合戦の象徴なのか。
男と女の戦いが源平合戦の根底にあるとするなら、人間社会をもう一度見直してみる必要があるのかもしれない。
聡が実の妹である恵美子に、異性を意識していることは何を象徴しているのだろうか。
聡は知性で行動するタイプなら、藤堂頼賢は感性で行動するタイプと言うのか。
それを判断するには、藤堂頼賢のデータが余りにも不充分である。
藤堂頼賢を待ち受けている聡は、不安を抱えながら、第二ラウンド開始のゴングが鳴るのを待っていた。