(その十七)特異点の時代

『あの時、恵美子の相手が藤堂頼賢だとも気づかずに、正三は普通の親として叱りつけたはずだし、わたしもそうだった!』
『何という運命のいたずらか!』
『褒美の後のおつりがこれだったのか!』
次から次へと連想が湧き上がってくるが、それぞれの想いが取りとめのないものではなく、関連性があっての連想は、自我を強烈に増長させる。
まさに一点集中の『今、ここ』状態の水平世界への裏返し現象だ。
倫子は、自分に課せられた運命をこれほど恨めしく思ったことは一度もなかった。
自分の家で見知らぬ丸山一郎に犯されたときでさえ、ここまで恨めしくは思わなかった。
現代社会で特異な事件が頻発している。
実の母親が実の子を殺す事件だ。
誰もが異常性格の母親が冒した事件だと捉え、嘗ての猟奇事件と同じような扱いをしているが、大きな間違いだ。
そもそも猟奇事件などといった代物などなく、必ず、相関関係が背後に潜んでいるものである。
人類が文明社会を構築した頃から、人間は大きな錯覚をしてきたことを、事件の検証の土台に置かなければ、こういった事件の本質を見ぬくことはできない。
人間社会が物質化すればするほど、言い換えれば、文明化すればするほど、本質に関わる出来事が増えてくるのに、文明化に馴れてしまった人間は、逆に表面的な対処しかできなくなる。
文明の副作用と言っていいだろう。
医療が進めば進むほど、効果も劇的だが、副作用も劇薬的なものになる。
ドイツの哲学者カール・ヤスパースが「軸の時代」という提唱をしたが、宇宙の生成発展の歴史の中での特異点が、まさに、人間が構築した文明社会の「軸の時代」に他ならない。
「軸の時代」には、人間の進化を推進するような偉人が輩出するのだが、逆に言えば、人間の退化を促すような人種も続発する。
種(人種)の配分が正規分布している所以であり、97%の量的優位性・質的劣位性の凡人に対して、3%の質的優位性・量的劣位性の非凡な人間の分布状態になっているが、3%の非凡な人間は隔絶された左右対象に1.5%づつ分布して、人間の進化を推進するような偉人と、人間の退化を促すような人種も続発するわけだ。
「軸の時代」だからなにもかも好いというわけではない。
やはり、どんな事象にも功罪側面があるのだ。
『褒美の後のおつりがこれだったのか!』
倫子の身の上にも、「第二の軸の時代」の影が投げかけられていたのである。