(その十七)圧倒的に多い姑息な輩の団塊世代

浅間山荘事件や党派の分裂による内ゲバの横行などで反体制組織に対する世間の目が冷たくなると、急速に『しらけ』が進み、1970年代半ばまでにほとんどの若者が政治活動から距離を置くようになった。
文化的側面から見ればファッションが浸透し始めた世代であり、男性はジーンズ、女性はミニスカートを好んで装い、レジャーやドライブを好むなど、そのスタイルは現代の若者文化の基盤を形成したのである。
高度経済成長をなしとげた日本で最初に青年期を過ごした世代として、それまで絶対的なものとして意識されていた欧米と日本の東洋文化の対立を相対化し、両方楽しんでしまう多文化世代でもあった。
彼らが親元から独立して家庭を持つようになると、著しい住宅不足となり、大都市の近郊には数多くの核家族向けの近代的な団地が造成された。
大手企業は福利厚生として集合住宅タイプの社宅を構え、その周辺に生活物資を売る商店が集まり、衛星都市と呼ばれる中都市ができたわけだ。
大都市を取り巻く都市圏は大きく広がり、それに伴う通勤通学のための交通網の整備が急がれ、鉄道の輸送力増強や新線建設、道路の新設や拡張が行われた。
いわゆる、都市膨張の時代だ。
1986年〜1991年のバブル景気の時代には彼らは40歳前後の働き盛りとして社会の中核を担い、企業戦士として過労死した者も多くいる。
1990年代に入って、バブル崩壊後の不景気が続くと、団塊の世代は壮年期を迎える。
彼らの所属する日本型年功序列制度に基づく高賃金は既得権益化し、日本企業の収益性が低い要因の一つとなったといわれ、また、その高い労務負担が、1990年代から2000年代前半の若年層の大規模な就職難の原因ともなった。
高度経済成長を支えた世代として評される場合が多いが、この世代が就職したのは中卒で1962〜1964年、高卒で1965〜1967年、大卒で1969年以降で、中学校を卒業した人々が労働力となった時代は高度経済成長の後半であるが、大卒の人々はすでに高度経済成長末期であり、この世代が高度経済成長を支えたとする見方は間違いだ。
この世代が主軸となって支えた経済成長は30代で経験した世界の機関車の時代と対米攻勢の時代、さらに40代始めのバブル景気ということになるだろう。
そして、団塊の世代が一斉に定年退職をする時期に入って、年金制度をはじめとして、社会に大きな影響をもたらすことが予想される。
一斉大量退職によるベテラン職員不足を回避し、技能継承のため、定年延長、再雇用等で乗り切ろうとする企業がある一方、彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。
彼らが及ぼす多大な影響は『2007年問題』と呼ばれている。
彼らが長年にわたり蓄積してきた知識や技能をいかに後進に伝承するかが企業内部にとどまらず、社会全体の課題となっていくだろう。
ところが、彼らが社会人として組織で生き残るために、自身の経験やノウハウを自分の中で「閉じ込める」方法を選んできたことも事実であり、経験の伝承を実現することは決して容易ではない。
このままでは、組織として知識や技術の伝承を進めさせるための配慮を検討しなければ、彼らの莫大な財産が生かされないことになってしまう事態に陥ることになる。