(その十七)団塊世代の負の遺産

団塊の世代の人生は日本の戦後史と共にはじまるため、いろいろな戦後日本の出来事とオーバーラップする。
昭和40年代前半における大学生を中心にした学生運動に団塊の世代が大きく関与した事実は否めないが、戦後の政治運動・社会運動のきっかけを築き上げたのは戦中派を中心とする前世代であり、団塊の世代の運動は、そうした先代の作った枠組みに乗っかっただけである。
当時の大学進学率は10%程度で、若者の大多数は高卒・中卒の労働者だった。
さらに、当時の大学生の大半は政治に無関心であり、学生運動に参加した若者の数は圧倒的に少なかったのであるが、団塊の世代が学生運動の先駆けになっていると錯覚している連中がいまだに多くいる。
一部の大学生が新左翼の影響を受け、大学を封鎖するなどの学生運動がエスカレート、「全共闘世代」と言われるがそもそも大学進学率が低かったため学生運動に携わったのはほんのごく一部であり、関わった連中も卒業とともに保守化した、つまり、変節した姑息な輩だ。
高齢化と少子化は表裏一体の一枚のコインなのである。
コインが本物の黄金か、偽物のメッキなのか。
それは老いぼれと餓鬼(ガキ)が鍵を握っている。
団塊の世代は膨大な人口のため、幼い頃から学校は一学年2桁のクラス数であり、教室は50〜60人学級のすし詰め状態で教室不足は常態化していた。
好むと好まざるにかかわらず学校を主な舞台として競争が繰り広げられたが、団塊の世代の受験事情と少子化の進む現代の受験事情について、「団塊の世代は受験戦争が激しかった」と評する人もいるが必ずしも適切な評価とはいえない。
団塊の世代は人口が多いが高校卒業時の大学進学率は低かった。
一方、現代は学生数の割に大学進学率は高いため、競争の激しさを単純比較することはできない。
当時の国公立大学の授業料は月額が1、000円で、インフレなどの物価を考慮しても現在の1万円ぐらいの感覚だった。
有名私立大を除いては、概ね国公立大学の競争率が高く、経済的に貧しい学生は地元の国公立大学進学を望む傾向であった。
地方農村の中学校卒の若者は、高度経済成長後期であり、働き口が豊富だった東京や大阪などの大都市へ集団就職して、彼らは「金の卵」と呼ばれ、工場や商店などで大勢雇われ、日本経済の底を支えた。
青年期、高校から大学へ進学して都市部に集まった若者たちは既存社会への改革心に燃え、その強いハングリー精神と自己主張の強さから、いわゆる学生運動と呼ばれた大学改革やベトナム戦争反対の反体制運動に身を投じた。
一部の青年らは全共闘運動などで政府や既成秩序に反発し過激な活動を行ったが、1969年に東大紛争が敗北に終わり、70年安保闘争も不調に終わると、多くの若者が運動から離れていき、追い込まれた一部の運動家の暴力行為はエスカレートしていったのだ。