(その十七)負の遺産

倫子が15才の時に産んだ双子の兄弟は、京都郊外のひっそりした八州の大原村で育てられ、彼らの姓も畑であった。
15才で輪違屋に世話になった倫子は、舞妓から芸妓の道を一気に駆け上がって行った。
持ち前の気丈夫さも加味して、15才から20才までの5年間の倫子の人生は、充実した満足できるものだった。
“喉元過ぎれば熱さを忘れる”
昔からの諺は、まさに、人の一生も円回帰運動であることを婉曲的に示唆しているのだろう。
“禍を転じて福となす”を終点にするか始点にするかはまさに、“喉元過ぎれば熱さを忘れる”を終点にするか始点にするかに掛かっている。
15才の時、榊原温泉から福山に戻らず、京都に止まったことが“禍を転じて福となす”きっかけになったのである。
近鉄京都駅に着いた倫子は、輪違屋に帰るべきか、いっそこのまま、綾に伝えた通り、福山に向かうため、山陰線に乗り換えるべきか躊躇していたら、駅から東寺の五重の塔が見えたので、弘法大師にお参りし、その足で輪違屋に向かった。
人生の分岐点は意外な出来事で決定されるものであり、その結果が吉と出るか、凶と出るかは、意外な出来事を本人が如何に捉えるかに掛かっているようだ。
連想の過程の中で捉えると必ず凶と出、一点集中の中で捉えると必ず吉と出るらしい。
峻烈な運命の波に襲われた15才の少女に与えられた褒美の5年の間が吉と出た裏側では、その直後に必ずやってくる凶事に構えるだけの知性も度胸も、彼女に要求することは土台無理な話だった。
中村屋での畑正三との邂逅が、それまでの吉事をすべて凶事にしてしまったのである。
そして、二人の邂逅に恣意的に画策したかどうかは闇の中だが、藤堂頼賢の父親である藤堂高順であったことは確かであり、倫子自身がその計らいを受容していたことも確かである。
そして、その産物として倫子は、恵美子と藤堂頼賢を産んだのである。
倫子は大晦日の夜に恵美子が泥酔して帰宅した時のことを疎ましく振りかえった。
あの温厚な正三の逆鱗に触れた時の光景が思い出される。
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