(その十七)映画の話

未来という光景はどんなものか鑑賞者にはわからない。
人生とは映画製作者のいない映画の鑑賞なのである。
天地創造主の神などいるわけがない。
たとえいたにしても、三流の映画監督だ。
矛盾だらけのシナリオでは一流の映画は製作できない。
聡は幸運だった。
たった4年間という上映時間の映画で、自己の一生が再生映画に過ぎなかったことを知ることができたのである。
白昼夢を観ることは、刹那的に考えれば、甘く酸っぱい哀しい映画という罪的側面を持つが、悟りの一瞥を与えてくれる功的側面を持つことを人間はまだ理解していない。
目が覚めている間のいわゆる現実が好くて、白昼夢が悪いと思い込んでいる未熟な知性の為せる業だ。
宗教がセックスを罪だと思い込んでいるのと同じである。
人間だけが死を知ったということは、人間だけが自ら死ねる権利を得たということを理解していないからだ。
人間だけがセックスを知ったということは、人間だけが愛する権利を得たということを理解していないからだ。
白昼夢がセックスに関わっているのがその証明である。
セックスが悟りの一瞥を与えてくれている証明である。
白昼夢が悟りの一瞥を与えてくれている証明である。
『聡兄さんは、まだ四年前のことを引き摺ってはんのやろか?』
恵美子は思い出した。
「恵美子!お前が欲しいんや!」
恵美子の身体の上に覆い被さって、聡が叫んだ。
「やめて!聡兄さん!」
「ああああ!」