(その十七)本末転倒の話

ロスチャイルド総家の3代目総主からは、パリのロチルド家が独占することになるわけだが、「ユダヤ議定書」がパリで書かれたのが、その証でもある。
爾来、人間社会が悪意に基づいた社会へと大きく移行していくことになるのである。
支配する者と支配される者とで構成される人間社会は、いつの時代でも悪意、すなわち、支配する者の意図で運営される。
支配する者は質的優位性を目指すだけに、量的劣位性を内包する、いわゆる、二元論の本質を有している。
つまり、質的優位性と量的劣位性は一枚のコインの裏表ということになる。
悪意とは、質的優位性と量的劣位性の表象に他ならず、逆に言えば、善意とは、量的優位性と質的劣位性の表象に他ならない。
まさに、支配・被支配二層構造の差別社会の本質がこの点に隠されているのである。
「ユダヤ議定書」を作成した連中は、この真理を熟知していたからこそ、悪意の人間社会が、100年の時を隔てて確実に実現されていったのである。
だが、それほどの知性を有した彼らであるが、一つ見逃していたことがある。
人間の際限のない欲望だ。
人間の欲望は際限がないのに対して、自然社会の生きものにも欲望があるが、彼らの欲望には抑制が利いている。
まさに、本能欲と人間的欲望の違いだ。
「ユダヤ議定書」を作成した連中は、抑制の利いた本能欲を持つ人間を、「ゴイム(鬼畜)」と蔑んだ。
まさに、本末転倒の話である。