(その十七)フランス革命の真相

人間の謎を紐解く格好の書物がある。
「ユダヤ議定書」と呼ばれ、19世紀末にパリで書かれたものらしい。
議定書の名の通り、会議の議事録であり、会議の議長が最後に全員に薫陶したもののようである。
会議の場所は、ロシアの古都ペテルスブルグであり、その後、ロシア革命が起ったのが実に象徴的だ。
ロシアで会議され、フランスで書かれた「ユダヤ議定書」は、100年の時を隔てて為し遂げられた二つの革命に大きな影響を与えあっていることは明白であり、二つの革命とは、フランス革命(1789年)とロシア革命(1917年)に他ならない。
この二つの革命は、ブルジョア革命とプロレタリアート革命として有名だが、実話はそんな綺麗事でなく、ブルボン王朝とロマノフ王朝が展開した「ユダヤ人狩り」に対する報復に過ぎなかったのである。
まさに、『復讐劇』だったのである。
ロシア革命の総仕上げだった『11月革命』のため、スイスのバーゼルに身を隠していたレーニンは、ボルシェビキ蜂起のための資金調達を推進していた。
武器調達の資金だ。
18世紀にドイツのフランクフルトで一家を興したマイヤー・アムシェル・ロートシールドは、5人の息子たちをロンドン、パリ、ウィーン、ナポリ、そして、フランクフルトに配し、それぞれの国で金融業で随一の資産家になることを命じた。
フランスとイギリスの「ワーテルロー会戦」で、まんまと巨額の利益を得た、次男のネイサン・マイヤーはロンドンのシティーで早々とイギリス随一の資産家になり、その勢いで、ロスチャイルド総家の2代目総主になった。
18世紀から19世紀にかけての出来事である。
ところが、ロスチャイルド総家の3代目総主からは、パリのロチルド家が独占することになる。
ジェームズ・マイヤー、マイヤー・アルフォンス、エドワール・アルフォンス、そして、ギイ・エドワールと続いたのだ。
まさに、この頃、「フランス革命」が成し遂げられたのである。