(その十六)花街の世界へ

事の仔細を木村に伝えずに、軍造は一旦、木村化学工業機械の社長室を出た。
軍造は、軍人の家庭に育っただけに、男の世界の常識は充分に弁えているつもりだった。
甲斐性さえあれば、如何なる情話も許されるのが、明治の男である。
増して、円山一郎は家庭を持っていた。
しかも、木村化学工業機械社長、木村信三の妹婿なのである。
「倫子、円山のことはあきらめろ!」
「だから、堕胎(おろ)すんだ!」
軍造から言い渡された倫子は、その日のうちに福山の宇都宮家を出て岡山に向かい、そこから京都行の汽車に乗った。
彼女の鞄の中には、京都朱雀野遊郭(島原遊郭)の輪違屋の女将増子宛ての、軍造が認めた書状が入っていた。
福山を出た日の暮れに京都に着いた倫子は、京都駅から壬生まで歩くことにした。
修学旅行以来の1200年間続いた古都を楽しむような余裕はなく、ただ、ひたすら、自分のこれからの人生に対する覚悟の程を自ら確かめたかったのである。
その日、福山の宇都宮家に二人の男が訪問してきた。
木村信三が円山一郎を引き連れて軍造に会いにきたのである。
同日、同夜に、京都と福山で、15才の少女の行く末を占う大人の話し合いが行われたのである。
そして、その結果、倫子は京都の花街の世界に入った。