(その十六)五感障害する人間

勇気は絶対的なものだが、度胸は臆病と背中合わせの相対的なものに過ぎない。
これまでの人間社会は、勇気と度胸を同じものだと捉えてきた。
そして、度胸と臆病を二律背反するものと捉えてきた。
ドイツの哲学者エマニュエル・カントが「純粋理性批判」ではじめて、二律背反(アンチノミー)という言葉を記した。
宇宙には時間的にはじまりがあったかどうか、空間的に限界があるかどうかという
問題を深く検証したのである。
そしてこのような問題を純粋理性の二律背反(アンチノミー)と呼んだ。
宇宙にははじまりがあるというテーゼにも、宇宙は永遠に存在してきたというアンチテーゼにも、同じぐらいに有無を言わせない論拠があるとカントは考えたからである。
先ず、テーゼを支持する論拠は、
もし宇宙にはじまりがないとすれば、いかなる事象にもそれに先立って無限の時間があることになり、自己矛盾してしまう。
一方、アンチテーゼを支持する論拠は、
もし宇宙にはじまりがあれば、宇宙のはじまる以前には無限の時間があったことになり、それなら宇宙がある特定の時間からはじまらなければならなかった理由はなく、これも自己矛盾してしまう。
まさに、純粋理性の二律背反(アンチノミー)である。
人間という生きものは常に二重の錯覚をするものらしい。
敢えてそうしたのか、気づかずにそうしたのか。
問題の核心はこの点にあるのだが、二重の錯覚が問題の核心を曖昧模糊にしている。
二重が鍵だ。
人間社会は、先ず一重の錯覚から脱却することが肝要だ。
自覚症状のない音痴が音痴を治せるわけがない。
先ず、音痴であることを自覚することが肝要だ。
人間社会は、先ず自分たちが音痴であることを自覚することだ。
障害者と健常者と区分けしている間は無理だ。
人間はみんな五感障害者なのだ。
人間は映像痴なのだ。
人間は音痴なのだ。
人間は臭痴なのだ。
人間は味痴なのだ。
人間は触痴なのだ。
倫子は榊原温泉病院での断食治療で、人間が五感障害者であることに気づいたのである。