(その十六)相対映像世界の映画化

近鉄京都駅に着いた倫子は、輪違屋に帰るべきか、いっそこのまま、綾に伝え通り、福山に向かうため、山陰線に乗り換えるべきか躊躇していたら、駅から東寺の五重の塔が見えた。
東寺は延暦15年(796年)創建と言われているから、平安京遷都の2年後のことだ。
空海22才の時である。
28年後の弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から空海に下賜された寺として有名で、空海50才の時である。
空海が勉学のため唐に渡ったのは延暦23年(804年)であるが、当時の空海はまったく無名な一私僧に過ぎなかった。
一方、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の開祖・最澄は当時既に天皇の護寺僧である内供奉十禅師の一人に桓武天皇から任命されており、当時の仏教界で確固たる地位を築いていた。
最澄や三蔵法師の称号を唐で贈られた霊仙ら爽々たる重鎮たちと同格扱いを受けていた空海の処遇は謎に包まれている。
空海の本名、佐伯真魚(さえきまお)にその秘密は隠されている。
香川県善通寺(ぜんつうじ)市生れから、佐伯善通(さえきよしみち)とも言われている。
佐伯姓は服部姓と共に秦一族の末裔の一つであり、四国がまだ死国と呼ばれていた時代に秦一族が播州加古川から四国に移った一族だ。
佐伯氏は太秦の秦氏の分家の一つである。
東寺で弘法大師にお参りした倫子は、その足で輪違屋に向かった。
綾と深い因縁がありそうな輪違屋の女将、増子に榊原温泉での出来事の報告をする礼儀もあったが・・・。