(その十六)真実の告白

「鴨川をどり」を仕切る芸妓は、必ず、榊原温泉の木戸屋に逗留する仕来りは、花若太夫の時からはじまった。
倫子がまだ花若太夫にもなっていない、十五才の時である。
だが、榊原温泉から福山に帰ってからの倫子は、まるで人が変わってしまった。
生まれ育った環境は、人間形成の礎になる、
多感な時期に過酷な経験を味わえば尚更のことである。
母親としての倫子の姿は、榊原温泉に行く前の十五才の少女からは、凡そ、想像し難いものであったが、二十数年後に映し出した同じ光景は、まさに、恵美子にとっては予想に難くないものであったに違いない。
温泉治療を続けている間に、恵美子は世の中の常識が如何にでたらめであるかが、少しずつわかってきた。
『世の中って、なんでこんなええ加減なことばっかりなんやろ?』
いつごろからか記憶にないが、恵美子は死後の世界があるものとばっかり信じてきた。
誰が自分にそう教えたのか定かに憶えていない。
母の倫子が教えてくれた記憶もない。
父の正三が教えてくれた記憶もない。
学校の先生が教えてくれた記憶もない。
生まれた瞬間(とき)から知っていた筈がないのは、産まれたての赤ん坊や無垢な子供を観察すれは一目瞭然だ。
では、いつどこで死後の世界があることを知ったのか。
では、いつどこで魂や霊が肉体と別にあって、肉体が死んでも魂や霊は永遠であることを知ったのか。
自分が親になれば、そんなことをいちいち子供に教えたことなどないことを思い出すはずで、親もそんなことをいちいち自分に教えたことなどないのだ。
しかし、いつかどこかで誰かが教えた筈だ。
しかし、いつかどこかで誰かが洗脳した筈だ。
洗脳するとは、純粋な想いを汚すことだ。
洗脳するとは、無垢な想いを汚すことだ。
どうやら人類ももともとは純粋な想いを持っていたようである。
どうやら人類ももともとは無垢な想いを持っていたようである。
アダムとイブが善悪の判断をする禁断の実を食べたことによって、エデンの園を神から追放された話は多くの嘘を露呈している。
先ず、この話そのものが嘘だということを自ら告白している。
その上で、嘘の上塗りをしている。
禁断の実などそもそも何故エデンの園に置いたのか。
エデンの園の住人は誰ひとり口にしないものなど置いたのか。
この話の狙いは、人類を洗脳することにあることは明白である。
人類が人類を洗脳する。
何のためか?
支配する者と支配される者を明確に区分けするためである。
爾来、人類は汚れた肉体と汚れた想いを持って生きてゆくことになったのだ。
いつどこで死後の世界があることを知ったのか。
いつどこで魂や霊が肉体と別にあって、肉体が死んでも魂や霊は永遠であることを知ったのか。
自分が親になれば、そんなことをいちいち子供に教えたことなどないことを思い出すはずで、親もそんなことをいちいち自分に教えたことなどないのだ。
いつかどこかで誰かが教えた筈だ。
いつかどこかで誰かが洗脳した筈だ。
その答えを明確にすることが、人類に残された唯一の命題である。
想いを浄化するとは、いつかどこかで誰かに洗脳された想いを浄化することに他ならないのだ。
一生のうちに一度は断食の経験をすることが大事だ。
他の生きものたちは、教えられなくても勝手にしている。
冬眠も断食の一つだ。
要するに、一日三食の食事をしている限り、人間は病気から解放されることはない。
要するに、空腹感を経験することが断食に通じるのだ。
人間だけが、空腹感の経験を忘れてしまったのである。
空腹感が肉体を浄化してくれる。
浄化した肉体が想いを浄化してくれる。
そのバロメーターが五感能力の向上だ。
人間だけが、潜在能力を100%発揮できない障害生きものである。
人間だけが、五感能力を100%発揮できない障害生きものである。
人間だけが、浄化された肉体を持っていない障害生きものである。
人間だけが、浄化された想いを持っていない障害生きものである。
人間だけが、覚醒していない、悟っていない障害生きものである。
だから、自分たちを万物の霊長などと嘯いているのだ。
温泉療法をすることによって、恵美子は真実を知ったのである。