(その十六)『今、ここ』の映像

木戸屋の玄関先に車が停まっても、運転手は無言でメーターを上げるだけだった。
メーターを見た恵美子は運転手に五千円札を手渡して、「お釣はけっこうどす・・・」と小さな声で言って、さっさと玄関の中に入っていった。
人間の出会いは、時には奇縁なものもあるが、殆どが、無味乾燥なものだ。
特に現代社会では余計そうだ。
人間のロボット化が亢進すればするほど、無味乾燥な人間関係になって、本来有機生命体の人間がまるで、鉱物のような無機物になってしまう。
植物や動物は鉱物と違って有機物であり、有機物の中で一番進化している筈の人間が無機化してしまうと、地球上に存在する全物質、つまり、鉱物・植物・動物、いわゆる、三態は円回帰運動の最終段階に入り、地球上から有機生命体が消滅してしまい、有機星である地球が他の惑星と同じ無機星になる。
現代人間社会では高齢化と少子化が相俟って、地球が無機星になってしまう危機が迫っているのである。
「いらっしゃいませ!」
恵美子が玄関口に足を踏み入れると、女中が一人、奥から出てきた。
「京都の春若どすが、女将はんおいでやすか?」
「まあ、春若さん!いらっしゃい!」
玄関先の恵美子の声が奥まで聞こえたのか、綾子が飛んで出てきたが、驚いた様子はない。
中川駅の立ち喰い蕎麦の店から連絡が入っているはずと予想していた恵美子も、綾子の態度に合点していた。
「今回は長泊するのでしょうね?」
「へえ、できたらそうお願いしとうおす」
暫く解けていた二本の糸が再び絡む気配になってきた。