(その十五)『今、ここ』の世界

「通し矢」競技に参加していた恵美子は、興奮の坩堝と化した三十三間堂の前の庭園に設置された競技場で、その様子を目の当たりにした。
凛々しい藤堂頼賢の姿は、この世のものとは思えないほど、美しかった。
男性がこれほど美しいものだと思いもよらなかったのである。
恵美子にとっての男性は獣そのものだった。
彼女が舞妓になりたての十六才の時にした経験が、その後の彼女の男性観を決定的にしたからだ。
「恵美子!お前が欲しいんや!」
恵美子の身体の上に覆い被さって、兄の聡が叫んだ。
「やめて!聡兄さん!」
「ああああ!」
爾来、恵美子にとって男性はみんな獣だと思いこむようになったのだ。
それも仕方のない話だ。
兄の聡が学校を早引きして家に帰ったら、妹の恵美子が稽古を終えて、庭先で汗の掻いた身体を行水で流していた光景を見た。
傍には母親の倫子もいたので、咄嗟に木塀の陰に隠れた。
木製のたらいは深目の所為で、恵美子の秘部は露でないが、彼女のほぼ全裸の姿が太陽の日差しを受けて輝いている。
16才とは思えない日本人離れした熟れた容姿と小麦色の肌が、夏の太陽で更に色気を醸し出している。
生唾を飲んだ聡は吾を忘れてしまった。
爾来、恵美子を妹と思えなくなったのである。
青い恋は水の情念だが、赤い恋は火の情念だ。
水の情念は時の経過と共に下っていくが、火の情念は歳と共に更に燃え上がっていく。
聡の恵美子への想いが火の情念と化したのはまさに偶然の産物であり、誰も責められない。
ある日、聡の火が燃え上がった。
「恵美子!お前が欲しいんや!」
恵美子の身体の上に覆い被さって、聡が叫んだ。
「やめて!聡兄さん!」
「ああああ!」
ふと我に返った恵美子は、脳裏に焼きついた獣の男と、目の前にいる美しい男性のコントラストが、彼女の穢れのない網膜にダブって映ったのである。
過去や未来に繋がる現在と『今、ここ』との違いを直感した瞬間だった。