(その十五)一千年の時空

その日は朝から、成人式の会場の三十三間堂は興奮の坩堝と化していた。
三十三間堂の廊下の長さは、実際には121メートルある。
三十三間の二倍にあたる長さの廊下の端からもう一方の端の壁にある標的を狙って矢を射るのだが、標的に当てる以前の問題は、射た矢が届くかにある。
現在では、三十三間の実尺どおり、60メートルの長さで通し矢の競技が行われているが、江戸時代には、121メートルの長さの通し矢が行われていて、121メートルの標的の中心に見事に矢を射たのは、古今東西、誰もいない。
三十三間堂は京都市東山区にある仏堂で、建物の正式名称は蓮華王院本堂と呼ばれ、天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理していて、元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂である。
この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があって、その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、すなわち、三十三間堂である。
後白河上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて長寛2年12月17日(1165年1月30日)に完成した。
創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失したが、文永3年(1266年)に本堂のみが再建された。
現在の「三十三間堂」と呼ばれている堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていた。
江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121メートル)で矢を射る「通し矢」の舞台となったが、現在に至るまで、標的まで射た豪傑は一人も出現せず、堂創建直後に、源為朝が射ただけと伝えられている。
その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60メートルの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われていて、弓道をたしなむ新成人参加者が振袖袴姿で行射する。
一般には「通し矢」と呼ばれているが、60メートルは弓道競技の「遠的」の射程であり、かつての通し矢とは似て非なるものである。
そんな中で、藤堂頼賢が60メートルの「遠的」どころか、121メートルを、一千年の時空を超えて射たのである。