(その十五)歴史と現代のギャップ

輪違屋には、幕末の新撰組で局長をしていた近藤勇の刀傷の柱が残っている。
坂本龍馬が暗殺された近江屋から、輪違屋はさほど遠くない。
近藤勇と張り合っていた伊東甲子太郎が、坂本龍馬が暗殺された現場に残された鞘は新撰組の原田左之助のものと証言して、新撰組が強く疑われたが、その後、噂は消えていく。
ところが、坂本龍馬の額の傷と、輪違屋の柱の傷が同一であるゆえ、現在に至るまで後生大事に残されているのだ。
翌年、近藤勇は下総(千葉)の流山で捕縛され斬首に処されたが、土佐藩の強い主張がその背景にあったという。
一方、
ヤマトタケルノミコトが駿河で野火攻めに遭ったとき、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で、草を薙ぎ払って難を逃れたことによって、別称されるようになった草薙剣は、この後、美夜受媛(みやずひめ)の元、尾張の熱田神宮に祀られるようになったが、天智天皇の治世下の天智7年(西暦668年)に僧・道行によって盗まれ、その後、宮中に留め置かれた。
ところが、天武天皇の治世下の朱鳥元年(西暦686年)に、天武天皇の病気が草薙剣の祟りとわかり、剣は熱田神宮に戻され、現在に至っている。
熱田神宮には「酔笑人神事」と呼ばれる行事があり、このときの草薙剣の帰還を秘かに喜ぶ神事がある。
日本の歴史を揺るがす真実が、この二つの話に隠されている。
恵美子は輪違屋の柱の刀傷を藤堂頼賢に見せた。
ふたりの関係は、ここで大きく変わっていくことになる。
14才から21才の7年の間に人間は、ロマンチシズムを養っておかなければならない。
ロマンチシズムとは片思いに他ならない。
本当の恋愛は、14才から21才の7年の間にロマンチシズムを養った上でないとしてはいけない。
そうでないと、本当に人を好きになることができない。
高校生や大学生の経験はそう意味では、障害以外の何者でもない。
特に、大学生は21才からにするべきだ。
ロマンチシズムを養うべき時期に大学生になると、恋愛を経験してしまうからだ。
人を好きになる意味もわからずに恋愛ゲームに興じると、お互い相手をモノ扱いするようになる。
ゲームだから仕方ない。
14才から21才の間は、決して、恋愛をしてはいけない。
ただ、片思いするだけで、ロマンチシズムを充分養っておくことだ。
そうすれば、21才以降になった時に、自分が本当に好きな相手を見つけ出すことができる。
ロマンチシズムを養わなければならない14才から21才の時期に、早熟して恋愛経験をしてしまったら、21才になってから、自分が本当に好きな相手を認識することができず、不適切な相手と無理やり恋愛をし、親となる意味もわからずに子供をつくってしまう。
その後は、最悪の人生が待ち受けている。
兄の聡は、最悪の人生の門まであと一歩のところまで来ているのだ。
恵美子は、そういう意味では幸運だったと言える。
藤堂頼賢と出逢えたのも幸運の一つだった。
15才から舞妓の修行に明け暮れ、20才の成人式の日に藤堂頼賢と出逢えたのは、彼女に対する人生の褒美だったかもしれない。
その間にロマンチシズムを養うことができたからだ。
特に、夢の中での兄、聡との出来事が、更に、恵美子にロマンチシズムに対する渇望感を与えたのは確かだ。
高校生や大学生の間に恋愛をすることは、長い人生の中で最も醜い経験と言えるだろう。
ロマンチシズムが人の心にどれだけ潤いを与えるか、計り知れないものがある。
恵美子は実にいい女になっていたのだ。