(その十五)歴史の狭間

『倭建命』は古代日本誕生の歴史の中では、微妙な立場に置かれてきた。
『源為朝』も中世日本誕生の歴史の中では、やはり、微妙な立場に置かれてきた。
だが、彼らは悲劇のヒーローだったから、日本の歴史のタブー的存在にはならなかった。
平将門にも同じことが言える。
将門塚が今でも東京大手町の高層ビルの狭間で、寂しげに立っている。
だが、足利義満だけは、日本の歴史のタブー的存在になったのはなぜだろう。
皇位簒奪事件を起こした理由で、日本の歴史のタブー的存在にされるほど単純な問題ではない。
歴史には必ず秘話があり、秘話が却って真実の場合の方が圧倒的に多い。
定説と真実の間に触媒の役割を果たした話だ。
ヤマトタケルノミコトは日本という国の高祖だと言われているから、『倭建命』だとか、『日本武尊』と呼ばれている。
『倭建命』は『倭』つまり、日本の国を建設した神さまだということであり、『日本武尊』も、『日本』を武力で治めた神さまだということだ。
ヤマトタケルノミコトが日本という国を治めた武力の象徴が草薙剣であり、須佐乃男命(スサノオノミコト)が出雲で退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の体の中から出てきた天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)が草薙剣である。
ヤマトタケルノミコトは第十三代景行天皇の長男だが、天皇にはなっていないのに、何故、日本の国建国の祖だと言われているのかいまだに謎である。
長子相続は第十五代応神天皇からの因習であり、それまでは末子相続だった我が国で、天皇の長子だったヤマトタケルノミコトが何故、日本の国建国の祖だと言われているのか。
日本の建国の祖と天皇家との関係を明らかにすることによって、日本の帝都が平安京だけであることの証明ができる。