(その十五)野生一元の世界

人間の証明は、野生の証明に直接繋がる。
死の理解を得ることができた人間は、まさに、人間の証明であり、野生の証明に繋がる。
病気で死ぬことは絶対にあり得ない証明がここにおいて達成されるというわけである。
鹿ヶ谷哲夫が、藤堂頼賢と恵美子を前にして教えた「野生の死」というものがある。
「健康と病気の問題は、本質的には自然社会にもある問題だ。
更に、
自然社会では、
病気が本来、自然にあるもの(実在)で、健康の概念どころか、健康の観念すらない。
本来自然にある病気を野生と云うのである。
つまり、
自然社会とは、病気一元の世界だ。
同じことが、貧富の間でも云える。
金持ちと貧乏の問題も、本質的には自然社会にもある問題だ。
更に、
自然社会では、
貧乏が本来、自然にあるもの(実在)で、金持ちの概念どころか、金持ちの観念すらない。
本来自然にある貧乏を野生と云うのである。
つまり、
自然社会とは、貧乏一元の世界だ。
ところが、
人間社会では、
病気(野生)が本来、自然にあるもの(実在)なのにそれを否定し、病気の不在概念として、健康の概念を肯定してしまった。
つまり、
人間社会とは、健康・病気二元の世界だ。
そして、
貧乏(野生)が本来、自然にあるもの(実在)なのにそれを否定し、貧乏の不在概念として、金持ちの概念を肯定してしまった。
つまり、
人間社会とは、貧富二元の世界だ。
更に最悪なのは、
単なる不在概念に過ぎない健康を追い求め、本来自然にある(実在する)病気(野生)を避けて生きるようになった。
また、
単なる不在概念に過ぎない金持ちを追い求め、本来自然にある(実在する)野生を避けて生きるようになった。
つまり、
人間社会とは、好いとこ取りの相対一元論の世界に成り下がってしまったのである」