(その十五)進化の推進者の哲学

藤堂頼賢は立命館大学の哲学科の三回生であり、同級生に服部崇がいたが、服部崇は、恵美子の兄、聡と同じ洛北高校から一年浪人して立命館大学に進んで、藤堂頼賢と同じ三回生だった。
不幸の事故から、命を落とす羽目になったが、彼は京都大学文学部哲学科を現役で合格した聡をずっと尊敬していた。
「おまえの大学は、ドイツ派哲学か、フランス派哲学なんかどっちやねん?」
「西田畿太郎と田辺元が中心になって京都学派を結成した京都大学文学部哲学科は世界的に有名なんや。1915年に発表した一般相対性理論でノーベル賞を受賞したアインシュタインが、ノーベル賞受賞の翌年の1922年に、当時既に東洋の哲学者として世界的に有名になっていた西田畿太郎の招待で来日し、京都大学で演説をしたんや・・・」
「それ以来、哲学を目差す日本の優秀な学生は、みんなこのキャンパスに憧れるようになったんや。
日本のノーベル物理学賞受賞者が、東京大学よりも、京都大学出身者の方に圧倒的に多いのんも、白い巨塔化してしもうた東京大学に比べて、明治維新以来、京都という町は若者を育てる最高の環境やと、京都人が自負しているところからの反動や。
それに、アインシュタインが京都大学で講演したことも大きく働いてるって、先生が言うてたわ・・・」
藤堂頼賢の密命を受けて、聡に近づいたときの、彼の科白だ。
だが、服部はそれ以上に藤堂頼賢に心酔していた。
藤堂頼賢の哲学には、ドイツ派哲学でも、フランス派哲学でもない、独自の哲学を有していたからだ。
恵美子も藤堂頼賢の動物的直感力が、独自の哲学観から湧き出ていることを、服部崇から聞いたことがあった。
平八茶屋で藤堂頼賢の子を妊娠したことを告白したときのことだ。
『服部はんが言うてたとおりやわ!』
・・・・・・・・・・・・・・・・。
「うち・・・・」
「俺の子供ができたんやろ?」
そんな無骨な藤堂頼賢の方から先に切り出した。
「なんで・・・・・!?」
恵美子は絞り出すような声で彼に訴えた。
彼に、子供ができたことなど一切話をしていなかったのに、なぜ知っていたのか。
「俺の情けが受け入れられたかどうかその瞬間にわかったんや!」
恵美子は驚きで体がぶるぶる震えた。
メス本能が驚きで震えているのである。
子供を宿したかどうかわかるのは女だけの特権であると思い込んでいたのに、女よりも早くわかる男がいたのだ。
子供を宿したかどうかわかる特権を持つ女でも、わかるのに少なくとも一ヶ月は掛かるのに、情けを与えた瞬間にわかったと言うのだ。
恵美子は驚愕した。