(その十四)予期せぬ出来事

ある日、藤堂頼賢は恵美子の前で癲癇の発作を起こした。
「藤堂はん!藤堂はん!」
威風堂々とした普段の藤堂頼賢が、この瞬間(とき)ばかりは、怯えた子供のようにうろたえている。
癲癇の持病を抱えていることは聞いていたが、発作が実際に起きるのを目の当りにするのははじめてだったから、対応の術もなく、恵美子もただうろたえるだけだった。
後日談として、鹿ヶ谷澄江に聞いたことだが、澄江の前では発作を何度も起こしたことがあり、澄江も対処の仕方を弁えていたから、藤堂頼賢の態度もさして異常ではなかったらしい。
ところが、今度は違うのだ。
その時、自分の体に異変が起きたことを恵美子は感じた。
『あかん!このままのうちではあかん!』
「あかん!このままのうちではあかん!」
内なる囁きだけではなかった。
彼女の体の細胞を全部入れ替えるような怒涛の勢いの波が、自分の体の中で暴れまわっているのだ。
黄金の腕を持つフランキーが禁断症状でもだえ苦しんでいる時に、自分の命を張って世話をする恋人のモーリーの表情が激変する。
映画“黄金の腕”の最も盛り上がる場面だ。
恵美子も、モーリーと同じ状態に陥ったのである。
「藤堂はん!藤堂はん!」
叫びながら恵美子は、接吻による人工呼吸を試みた。
その瞬間(とき)だ。
藤堂頼賢の口の中で吐いたのである。
自然に吐いたものだから、自分の意志で制御などできなかった。
人が死ぬところをはじめて見た者は必ず吐く。
人をはじめて殺した者も必ず吐く。
吐くという現象は、生理学的には胃のポンプ作用が逆噴射するようなものであり、精神的には、ストレスに対するポンプ作用で、逆噴射することはないのだが、この期に及んで起こったのである。
『もういやや!』
「もういやや!」
内なる叫びのもならず、外なる叫びも同時に発したのだ。
「どうしたんや!?」
その時、藤堂頼賢の発作が収まった。