(その十四)ニセモノの哀しみ

イエス・キリストが十字架に架けられた今際に言った言葉が象徴的だ。
「神よ!彼らは自分が何をしているのかわかっていないのです!」
あれから二千年の歳月が過ぎたが、我々人間はまだ自分が何をしているのかわかっていない。
わからないように、悪意のある誰かがしているのか。
それなら、解決の方法はある。
無意識のうちに、人間みんながそうなってしまったのか。
それなら、解決の方法はない。
悪意の意識なのか。
無意識の善意の意識なのか。
皮肉にも、世界の20数億のキリスト教徒たちは、偽善という無意識の善意の意識に嵌ってしまっている。
キリスト教と兄弟同士である、14億のイスラム教徒は、偽悪という無意識の悪意の意識に嵌ってしまっている。
せめてもの救いは、悪意若しくは善意の意識だけだが、そんな連中がこの世界に果たしているのか。
世の中の矛盾を自分でなんとかしようと人は思うが、世の中の事実を知っていても、真実を知らない。
現代日本人の大半は、知性の破片すらない、思考能力のないロボット人間であり、知性を有しているが、しょせん、未熟だ。
このことを理解するには成熟した知性が要る。
知性のないロボット人間は、事実すらもわかっていない。
未熟な知性の人間は、事実はわかっているが、真実がわからない限り、ホンモノにはなれない。
ホンモノかニセモノかの判定は、未熟な知性による『今、ここ』の事実だけにしがみついているのか、成熟した知性による永遠に変わることのない真実をわかっているかに掛かっている。
「あなたのおばあさんが亡くなった時の哀しかった気持ちを今でも変わらず持っているなら、哀しがっているあなたはホンモノの自分だ。
つまり、真実の自分がそこにいる。
だが、時の経過と共に哀しみが薄れてゆき、忘却の彼方に消え失せていくような哀しみなら、そんな哀しみなどニセモノであり、その時の哀しみは事実であっても、真実ではない。