(その十四)計画的な死

不条理な死に方を敢えて選んできた人間という生きものが、藤堂頼賢には許せなかった。
彼が、昔で言えば、元服に当たる15才になった頃には、既にこういった想いを募らせていたのは、自分の出自と、自分の血の出自に不条理な人間社会の構造をダブらせていたからである。
自分の体には、藤堂家という大名と、石川五右衛門という義賊ながら犯罪者という両極端の血を有していたことを知った彼が、世間とは正反対の行動を取り出したのも、その頃だった。
特に、当時の日本の支配者だった、豊臣秀吉に楯突いた石川五右衛門が息子と一緒に釜茹での刑に遭いながら、伏見の民衆によって救われた。
その石川五右衛門の息子の血を直接引き継いでいる自分に、大きな矛盾を感じていた。
『自分の死を自分で決められないのは何故だ?』
『そもそも死を知らないなら、自分で死ぬことができないのは当然だ!』
『では、死を知ったなら、自分で死ぬことができるのも当然ではないのか?』
『ところが、石川五右衛門が豊臣秀吉という他人によって殺されたのは、死を知った人間にとっては不条理極まりない話ではないか!』
『だが、石川五右衛門が、自分の息子の死を他殺から避けるために、自らは、他殺による死を敢えて選んだのであれば道理に合う!』
藤堂頼賢は、十五才の時に、この境地に達していたのである。
そして、それから7年後の今、恵美子との心中という形で彼は実行に移そうとしていた。