(その十四)祇園心中

受話器の向こう側から、無言の息遣いの後に、澄江の声が聞こえた。
「うちの気持ち、わかってくれはったどすか?」
「澄江はんの言わはること、ほんまにほんまどすな!」
澄江の言葉が、恵美子の揺れ動く心に決定打を与えた。
人間社会とは、一体何者なのだ!
自分たちで自分の首を絞めている。
しかも、そのことをまったく自覚していない。
イエス・キリストが十字架に架けられた今際に言った言葉が象徴的だ。
「神よ!彼らは自分が何をしているのかわかっていないのです!」
あれから二千年の歳月が過ぎたが、我々人間はまだ自分が何をしているのかわかっていない。
わからないように、悪意のある誰かがしているのか。
それなら、解決の方法はある。
無意識のうちに、人間みんながそうなってしまったのか。
それなら、解決の方法はない。
悪意の意識なのか。
無意識の善意の意識なのか。
皮肉にも、世界の20数億のキリスト教徒たちは、偽善という無意識の善意の意識に嵌ってしまっている。
キリスト教と兄弟同士である、14億のイスラム教徒は、偽悪という無意識の悪意の意識に嵌ってしまっている。
せめてもの救いは、悪意若しくは善意の意識だけだが、そんな連中がこの世界に果たしているのか。
恵美子はある決意をした。
好きな女のために、生命を張る。
好きな男のために、生命を張る。
その瞬間(とき)、はじめて、宇宙と一体になれる。
“自分は・・・”と思う自我意識が消滅する瞬間だ。
複数の自殺を心中と呼ぶ所以を、人間はもっと理解しなければならない。
まさに、心中とは、“自分は・・・”と思う自我意識をお互いに消滅させる行為だからこそ、そこにだけ真実の愛の発露がある。
男と女が七年以上、生理的行為を超えた性行為をすれば、そこにだけ真実の愛が発露され、自然に“自分は・・・”と思う自我意識をお互いに消滅させる行為に進化していき、いつ心中してもいいと思うようになる。