(その十四)出自の欺瞞

生命の重さなど、たとえ身内でも大したものではないと、鹿ヶ谷哲夫に断言された恵美子だったが、鹿ヶ谷哲夫の娘の澄江の話が、恵美子のそれまでの人生観を根本から覆すことになった。
澄江の波乱に満ちた半生が聞かされて、恵美子は人生の何たるかをようやく知った。
人は己の一生を特別なものと思ってしまう。
『自分はなんて不幸な人生を送ってきたんやろ!』
恵美子はそう思って生きてきた。
その理由は、“自分は特別だ!”と思っているからである。
『みんなおんなじような経験をしてはるんやわ!』
『うち一人だけが不幸な人生を送ってきたんとちゃうわ!』
『ほんならなんで今まで、他の人もおんなじようなこと経験してはるのが、自分にはわからへんかったんやろ?』
恵美子が独り言を呟いていたのを聞いた澄江が言った。
「自分と他の人がおんなじ世界にいると錯覚しているからどっせ」
『???????』
恵美子は澄江の言ったことがまったく理解できない。
『恵美子はんにとって、藤堂はんも、家族もみんな別世界の人どっせ!あんた独りの世界どっせ!』
『???????』
「ほんなら、お腹の中にいる子供は?」
澄江に問いかけたつもりはなかったが、つい口が滑ってしまった。
「恵美子はんのお腹にいる子供も別世界の人どす!」
断言する澄江の声の迫力に、恵美子は圧倒されてしまった。
澄江の(株)松村での出来事を父の哲夫は一切知らなかったが、彼女は父から多くのことを学んでいた。
自分以外のものはすべて実在するものではなくて、単なる映像に過ぎないことも、父の哲夫から教えられた。
自分以外のものは、それがたとえ親であっても子であっても映像に過ぎないから、別世界のものなのである。
映画館の白いスクリーンに映っているものや、テレビの画面の中の映像は、自分とは別世界だということを誰もが知っているのに、周りの世界は自分と同じ世界だと思い込んでいる。
こんな錯覚に気づいていない人間とは、一体何者なのか。
澄江は、事ある毎に哲夫から教わってきた。
妻子ある男の子をお腹に孕んだ時、彼女は悩み抜いた。
恵美子が置かれている状況とは比較できない程の厳しい選択を迫られていたのだ。
恵美子のお腹にいるのは独身の男の子だ。
世間では、天と地ほどの差がある。
だが、澄江は言う。
「どれほどの違いがあるんやろか・・・大した差やおまへんな」
「女が孕んだ。ただそれだけのことやおへんか・・・孕んだお子の種が、妻子持ちなのか、独身なのか、そんなことはどうでもええことどす・・・」
「大事なのは、そのお子を女が産んで育てる気持ちがあるかどうかだけで・・・男の気持ちなんか関係おまへん!」