(その十四)厄介な日本人

「春若!」
はじめて恵美子の名前を呼んだ藤堂頼賢は、恵美子にエゴの愛ではなく、真実の愛を求めた。
恵美子も彼の真実の愛に応えようと思った。
だが、彼らはエゴの愛と真実の愛の違いを理解する境地にまでまだ至っていなかった。
人生の中ですべてを捨てる勇気を奮わなければならない時がある。
若い内にすれば意味のある人生が待ってくれるが、老いた中では意味のある人生といえども時間が限られている。
舞妓の頃は、人形のような想いで踊っていたが、本当の自分に気づいたのが鴨川踊りで『日本誕生』の舞踊劇を踊ってからである。
理由は明白だ。
人生には運命と宿命がある。
運命は自分で変えることが可能だが、宿命は自分ではどうすることもできない。
人生という一つの流れの中で、流れを変える運命などあるのだろうか。
大海の波はどうして生まれるのかを理解していたら、運命などあろうはずがないことがわかる。
風が吹くから波が生まれるのだ。
凪とは風が止まることだ。
エゴの自分とは、大海の一つの波だ。
大海の一つの波が大海の流れを変えるなどありえない。
大きな幸福を望むなら、大きな不幸を覚悟しなければならない。
小さな不幸で済ましたいなら、小さな幸福で満足しなければならない。
大きな幸福と小さな不幸を望むなど凡そ不可能であることを、人間は知らなければならない。
日本人という厄介な代物を、もういい加減どうにかしなければならない。