(その十四)日本人根性

「春若!」
はじめて恵美子の名前を呼んだ藤堂頼賢が、彼女の愛欲に応えようと敢えてしない。
『なぜ!』
恵美子は心の中で叫んだが、その答えはすぐわかった。
感情移入の度合いが、彼女の業病を知ったゆえの真実の愛の自覚だったかもしれない。
業病とは、まさに、当を得た命名だ。
嘗ての業病の代表はハンセン氏病だった。
癩病(らいびょう)と呼ばれていたが、日本では差別用語になってしまい、辞書にすらこの言葉は引用されていない。
それほどに業(ごう)の宿った病なのである。
業(ごう)をヒンズー語ではカルマと呼ぶ。
宿業とも呼ばれ、まさに、親の因果が子に宿る遺伝性病気であるのに対して、恵美子の病は遺伝性でないのに、現代日本社会では業病とされている点に、日本という国の特殊性が顕著に顕れている。
まさに差別意識が骨の髄まで染み付いた民族だ。
藤堂頼賢が生まれ育った京都の中でも、伏見という地域は、豊臣秀吉が伏見城を我が子秀頼のために創建した時から、極度の差別意識の坩堝と化した。
大阪夏の陣で、徳川家康によって自害に追い込まれた豊臣秀頼の伏見城跡に、明治天皇の陵墓が築造された。
まさに、天下を見下ろすような場所だ。
藤堂頼賢の「頼」という文字が、豊臣秀頼から引用されたものであることを、少年時代に聞かされたとき、彼は背筋が寒くなったことがある。
頼るに秀でているか、頼るに賢いか。
同じ穴の狢というわけだ。