(その十四)無機的な名前

人間以外の生きものに、そもそも名前などない。
犬という種はあるが、名前はペットになってはじめて与えられる。
生まれた時に命名される名前など、家畜に焼き印をつけられるようなものだ。
更に、犬は自分のことを犬だとも思っていない。
名無しの権兵衛こそ、本当の自分である。
肉体も魂もすべて幻想に過ぎない証明だ。
薔薇の花は、自分が「薔薇」と云う名前であることなど知らない。
「薔薇」を「バラ」と呼ぼうが、「ソウビ」と呼ぼうが本人の知ったことではないし、況や、(given name)として、「太郎」と呼ばれようが、「花子」と呼ばれようが本人の知ったことではない。
況してや、オスの動物なら「太郎」と呼ばれ、メスの動物なら「花子」と呼ばれることに何ら違和感を持たないで生きる。
おかしな話だ。
植物には単独のオスの植物などまずいないし、単独のメスの植物も当然いない。
ところが、アーリア系白人種のアングロサクソンかゲルマンかで世界戦争をしてきた人間という生きものは、一体何様のつもりなのか。
日本人とは、黄色モンゴロイド系の大和民族というだけである。
イギリス人とは、白色アーリア系アングロサクソン民族というだけであり、ドイツ人とは白色アーリア系ゲルマン民族というだけである。
ケニア人とは、アフリカン・ブラックのマサイ民族というだけであり、アメリカ系黒人とは、アフリカン・ブラックのニグロというだけである。
畢竟(突き詰めてみれば)、(Homo sapiens)系、(Human Being)目、黄色モンゴロイド類、大和民族という生物が日本人というのであり、(Homo sapiens)系、(Human Being)目、白色アーリア類、アングロサクソン民族という生物がイギリス人というのであり、(Homo sapiens)系、(Human Being)目、アフリカン・ブラック類、ニグロという生物がアメリカ黒人といって区分けしているだけである。
名前のルーツなど、しょせん、無機的なものなのである。