(その十四)名前という化けもの

「春若!」
藤堂頼賢がはじめて恵美子の名前を呼んだと云うよりも、叫んだと云った方がいいだろう。
しかも、芸妓名で呼んだのである。
ふたりが成人式の日に三十三間堂で出逢って以来、恵美子のことを名前で呼んだことなど一度もなかった。
彼女を抱擁したときも、彼は無心で抱いた。
考えてみれば当たり前のことだが、人間はこんなところまで勘違いしているらしく、特に、女は愛する男に抱かれるときに、自分の名前を呼んで欲しいらしい。
肉体に名前など無用だ。
しかも、野生のまま大人になったような藤堂頼賢が、彼女のことを名前で呼んだのである。
その上に咄嗟の瞬間(とき)にである。
恵美子も自分のことを名前で呼ばれたことに感動したのは言うまでもなく、しかも、芸妓名で呼ばれたから余計だ。
芸に秀でた者ほど、芸名で自分を認知してもらいたいものである。
芸の世界のしがらみなど、ふたりの間にはまったくないだけに余計、彼女の感動は大きかった。
恵美子ははじめて随喜の涙を流した。
素人の女には無縁の涙だ。
ところが、「春若!」と叫んだ藤堂頼賢は、彼女の愛欲に応えようと敢えてしなかったのである。
『なぜ!』
恵美子は心の中で叫んだ。
だが、その答えは、その後にすぐわかったのである。
人間と云っても、そもそもは動物だ。
人類と人間の定義の違いみたいなものである。
誕生したときに命名される名前を英語では(given name)と呼ばれるように、しょせん、与えられた名前だ。
自分自身のアイデンティティーとはまったく無関係である。
人間なら誰でも、自分のアイデンティティーを知りたいのが人情であり、与えられた名前など、できたら無視したい。
たとえ、それが親から与えられたものであっても・・・。