(その十四)超えた愛

藤堂頼賢が三島由起夫の割腹自殺のことを鹿ヶ谷哲夫から聞いたとき、恵美子は是非を超えた予感をしていた一方で、藤堂頼賢は鹿ヶ谷哲夫の象徴的な言葉を聞いて真っ青な顔をしていた。
愛憎を超えることが真実の愛である。
好き、嫌い、と喚いている限り、真実の愛などわかるべくもない。
好きで身を焦がし、嫌いで身を焦がして、好きと嫌いが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、好きと嫌いを超えた真実の愛を理解できる。
善いで身を焦がし、悪いで身を焦がして、善いと悪いが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、善いと悪いを超えた真実の愛を理解できる。
強さで身を焦がし、弱さで身を焦がして、強さと弱さが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、強さと弱さを超えた真実の愛を理解できる。
賢こさで身を焦がし、愚かさで身を焦がして、賢さと愚さが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、賢さと愚さを超えた真実の愛を理解できる。
富かさで身を焦がし、貧しさで身を焦がして、富かさと貧しさが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、富かさと貧しさを超えた真実の愛を理解できる。
幸福で身を焦がし、不幸で身を焦がして、幸福と不幸が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、幸福と不幸を超えた真実の愛を理解できる。
天国で身を焦がし、地獄で身を焦がして、天国と地獄が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、天国と地獄を超えた真実の愛を理解できる。
神で身を焦がし、悪魔で身を焦がして、神と悪魔が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、神と悪魔を超えた真実の愛を理解できる。
健康で身を焦がし、病気で身を焦がして、健康と病気が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、健康と病気を超えた真実の愛を理解できる。
すべては、真実の愛に収斂する。
好きと嫌いの延長線だけに愛があるのではない。
すべての二元対立要因の超えたところに真実の愛がある。