(その十四)自殺革命

三島由起夫の自殺が、錯覚人間に対する皮肉であった証拠は、最後の作品である「豊饒の海」に見事に示唆されている一方で、「仮面の告白」では、自分自身も錯覚人間であることを認めている。
輪廻転生説が基本概念に必ずある、あらゆる宗教という錯覚の極みに対する強烈な皮肉である。
批判では腹の虫が収まらなかった三島由起夫は、皮肉(Irony)という形で自己の鬱憤を晴らした。
その背景に兄弟子の川端康成の存在がある。
三島由紀夫は深淵な思索の中で、日本人の中途半端な錯覚の正体に気がついた。
彼の兄弟子であった川端康成も中途半端な錯覚をしている人間の一人であることを、『金閣寺』がノーベル文学賞の有力候補に上げられた時に知った。
弟弟子の三島由紀夫に激しく嫉妬する川端康成に日本人の原風景を垣間見たのだ。明治維新以後の日本はまるで外国のような国になってしまった、その原因を知ってしまったのだ。
日本の近代社会のうねりは東京から起こったのではない。
京都から起こったのである。
西欧社会なら、近代化した国の首都は近代化のうねりがはじまった地になるのに、日本という国は近代化以前の首都を近代化した以後の首都にもするという変わった国である。
江戸時代という近世の日本社会の首都は決して京都でなく、明らかに江戸、つまり、東京であった。
否定からはじまるのが進化の本質である。
人類は親への反逆によって進化してきた。
現状否定なしに進化は起こり得ない。
明治維新とは近代化革命であり、近世の江戸社会の否定からはじまったにも拘わらず、近代社会になった後も江戸が首都であり続けたのは一体何故なのか。
常識ではあり得ない。
中国の王朝は易姓革命によって誕生するのが何千年もの歴史の中での慣習だから、王朝毎に首都が変わってきた。
明治維新は明らかに徳川王朝に対する易姓革命だったにも拘わらず、徳川王朝の首都がそのまま踏襲されたのは一体何故なのか。
明治維新は徳川王朝から天皇家への易姓革命だったはずで、天皇家の首都は京都であったのに、何故徳川王朝の首都に天皇は敢えて移ったのだろうか、まったく合点がいかない。
天皇家の中での易姓革命が為されていたとするなら、天皇家の首都である京都を否定することは肯ける。
百二十五代続いた天皇家は万世一系の血筋だと言われているが、実際には何度かの易姓革命が為されている。
九代開化天皇と十代崇神天皇との間で易姓革命が為されている。
十四代仲哀天皇と十五代応神天皇との間で易姓革命が為されている。
二十五代武烈天皇と二十六代継体天皇との間で易姓革命が為されている。
三十八代天智天皇と四十代天武天皇との間で易姓革命が為されている。
四十八代称徳天皇と五十代桓武天皇との間で易姓革命が為されている。
百二十一代孝明天皇と百二十二代明治天皇との間で易姓革命が為されている。
明治維新は易姓革命だったのである。
日本という国を憂えた三島由紀夫は「憂国」を一気に書き上げた。
その時、彼は自殺革命を考えはじめていたのである。