(その十四)藤堂頼賢の秘密

恵美子は鹿ヶ谷哲夫の恐るべき洞察力に感動した。
人間社会だけにある差別は錯覚が原因であると鹿ヶ谷哲夫は断定する。
錯覚とは、事実・真実・真理を歪曲して捉える一種の知覚障害であり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という所謂五感の機能障害である。
自然の中で生きているものは、人間の数百倍の五感能力を有していて、彼らが潜在能力を100%発揮している根拠は、五感能力をフルに発揮していることに他ならない。
人間は潜在能力の20%程度しか発揮できていない理由は、脳の稼動率と生理学者は言うが、実のところは、五感能力の発揮度の低さにあり、その根源は錯覚の所為なのである。
錯覚は知性の罪的側面だと鹿ヶ谷哲夫は言う。
知性を持った万物の霊長だと自負してきた人類は、地上最強の生きものとして君臨してきたが、その反対給付として錯覚生きものに成り下がってしまったのである。
錯覚が齎した最大の産物が、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生だ。
知性を有する故の、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生なのだ。
しかし、知性には功的側面もある。
地上最弱の生きものが地上最強の生きものになれたのは知性のお陰であるし、文明社会を構築できたのも知性の賜物だ。
功罪両面とは二面性を持つことであり、二面性を持つ世界を「二元論の世界」と言い、人間社会はまさしく「二元論の世界」である。
「二元論の世界」とは、「一元論の世界」と「三元論の世界」に挟まれた、所謂「過程の世界」、言い換えれば、「通過点」に過ぎない。
「通過点」は点の積み重ねだが、恰も、線のように見える、つまり、映像だ。
「二元論の世界」は所詮、「通過点」の映像の世界であるからして、必ず「三元論の世界」に辿り着く。
始点が動きはじめて円運動をすると必ず終点に戻るが、終点は始点と同じ場所であり、円は映像に過ぎない。
円運動の正体がここにある。
人間が有する知性に両面性があるということは、この知性は「通過点」に過ぎず、やがて、終点に辿り着くことになる。
人間が有している知性が未熟な知性であり、やがて、終点である成熟した知性に辿り付く宿命を背負っている。
成熟した知性に辿り着けば、人間は錯覚生きものでなくなる。
悟りとは錯覚から脱却することに他ならないと、鹿ヶ谷哲夫は断定する。
「そこに、彼とあんたとの隠された接点があるのだよ・・・」
鹿ヶ谷哲夫の締めの言葉が、藤堂頼賢の秘密の鍵のヒントになっていたことを、恵美子は自分の病を介して知るのだった。