(その十三)西から東へ

明治5年という年は、日本という国にとっては、すべてがどんでん返しになった年である。
初代神武天皇を奉っている橿原神宮。
当時の今上天皇である明治天皇を奉っている明治神宮。
創建年はそれぞれ後年とされているが、創建を決定されたのは明治5年の1ヶ月間の日本の空白期間においてである。
この1ヶ月の空白期間に明治天皇の五ヶ条の御誓文が発布され、明治憲法、すなわち、大日本帝国憲法が制定されたのである。
それまでの日本と全く違う国家が、明治5年からスタートするというわけである。
それまでの日本の首都であった平安京を天皇の勅命もないまま、東の京、すなわち、東京になし崩し状態で移してしまったのだ。
日本の正式の首都は、今でも、平安京、すなわち、京都である。
奪われた国を奪還する大儀は、日本の首都を京都に取り戻すことにある。
アメリカの開拓精神は、“東から西へ”がそのキーワードだったが、日本の建国精神は、“西から東へ”がそのキーワードにされたのが、明治5年という年だ。
まさに、新しい「辛酉年」であり、明治維新は新しい「辛酉革命」であったのだ。
初代神武天皇と122代明治天皇は、まさに、東征を行った革命児ということになるだろう。
“神武の東遷”ではなく、“神武の東征”だったのである。
“神武の東征”は、西都原から大和への遷都だった。
“明治の東遷”ではなく、“明治の東征”だったのである。
“明治の東征”は、京都から東京への遷都だったのである。
明治維新とは、まさに、“国盗り物語”に他ならなかったのだ。
「日本誕生」の秘話は、現在も尚、継続中だ。