(その十三)鬼門の主

第二十六代継体天皇は、第十五代応神天皇の五代孫にあたるというお触れで、わざわざ、越の国から呼び寄せられた天皇である。
要するに、応神天皇の血統とまったく違った人間が新しく天皇になったことを自白しているようなものだ。
応神天皇はまさしく朝鮮半島の血を受け継いだ人物であることは100%間違いなく、日本誕生の高祖である倭建命(日本武尊=ヤマトタケルノミコト)の血統を絶やした天皇だ。
倭建命(日本武尊=ヤマトタケルノミコト)とは、「鴨川をどり」で10年ぶりに上演されることになった舞踊劇の演題「日本誕生」の主人公であり、春若こと、畑恵美子が演じた。
彼は日本という国の高祖だと言われているから、『倭建命』だとか、『日本武尊』と呼ばれているのに、天皇にはなれなかった。
まさに、日本の黎明期の謎だ。
日本が建国されたのは紀元前660年だと日本書紀は言う。
初代神武天皇の即位年である「辛酉(しんゆう)年」は、日本書紀の編纂年から遡ること紀元前660年に相当する。
干支(えと)は60年の周期で繰り返される。
明治時代に、日本書紀はその紀年を立てるにあたって、中国の前漢から後漢に流行した讖緯説(しんいせつ)を採用した。
推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年から逆算して1260年遡った紀元前660年(辛酉年)を、大革命である神武天皇即位の年として起点設定した。
讖緯説とは、隋の皇帝・煬帝により禁圧されて散逸した讖緯説の書の逸文である『易緯』の鄭玄の注で、干支が一周する60年を1元(げん)といい、21元を1蔀(ぼう)として算出される1260(=60×21)の辛酉年に、国家的革命(王朝交代)が行われる(辛酉革命)という説が起源である。
神武天皇の即位年の「辛酉年」は『日本書紀』の編纂年(紀元720年に成立)を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。
西暦紀元前660年の立春に最も近い庚辰とは、新暦2月11日が特定される。
『日本書紀』はこの日が「朔(さく)」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、「朔」は暦法に依存しており「簡法」では計算できなかった。
明治政府は、一切のこの計算を考慮しなかったのだ。
因みに、現代の天文知識に基づき当時の月齢を計算すると、偶然ながらこの日は天文上の朔に当たる。
明治5年11月15日。
明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め、その日を「第一月廿九日」(1月29日)として神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた。
1月29日とは、明治6年の旧暦1月1日をそのまま新暦に置き換えた日付であり、明治5年12月3日をもって明治6年1月1日として、新暦が施行されたのである。
明治5年12月3日が明治6年1月1日だというわけである。
この30日間、すなわち、1ヶ月の空白状態の間に、それまでの古い日本の国と、新しい日本の国との入れ替えが為されたのである。