(その十三)人生の分岐点

御所の段町にある鹿ヶ谷哲夫の邸に藤堂頼賢と恵美子が一緒に訪問したことがあった。
恵美子が藤堂頼賢の子を孕んでいる中で起こった事故の処理の件で、藤堂家に居られなくなったために家を出たときのことだ。
『今はこの人に随いていくしかあらへん・・・』
藤堂頼賢の考えていることが理解できないまま、恵美子は彼にただ随いていった。
はじめて鹿ヶ谷哲夫と面談したときの印象は強烈だった。
「伏見の家を出てきたのか?」
鹿ヶ谷哲夫が、初対面の恵美子を前にして、藤堂頼賢に開口一番言った台詞だった。
一切のお世辞、お追従といった美辞麗句を吐かず、古今東西の人物の中で最も忌み嫌うのが徳川家康という人物だ。
「豊臣秀吉はお世辞だけで天下を取った男だ」
「徳川家康はお追従だけで天下を取った男だ」
「両者共に人蕩術だけで天下を取った男だ」
「特に徳川家康は、その後の日本を駄目にした男だ」
どんな相手にも歯に衣着せぬ物言いをする。
「源氏の血は端から汚れ切っていたことにやっと気づいたか?」
鹿ヶ谷哲夫は茶室でも胡座をかいている藤堂頼賢に言った。
「そやけど、わたしの過去世は源為朝なんです・・・」
藤堂頼賢が弁解がましい表現をするのに恵美子が驚いていると、更に、強烈なボールを投げてくる。
「過去世など、そんなデタラメ誰が言ったんだ?」
「死ねば魂など完全消滅してしまうだけだ。魂は肉体の一部に過ぎない。人間としての肉体が崩れたら、人間としての魂も消滅する。だが、肉体を構成している成分は何も変わらず依然そのままだ。水が蒸発して目に見えない水蒸気になってもH2Oという成分に変わりはない。人間としての肉体が死んで焼かれたら70%を占める水分は蒸発して空気中の水蒸気となるだけで消滅など一切しないではないか。肉体は死んでも魂は永遠などといった輪廻転生を主張する宗教などまやかしに過ぎんぞ」
恵美子は感動していた。
『こんな話はじめて聞いたわ!』
「お前は盗人の石川五右衛門の血を引いているだけだ!それもいい加減な血だ!」
断言する鹿ヶ谷哲夫の口調は聞いている者を圧倒する。
「父の話は若い人の方が解り易いようどっせ・・・」
傍にいた鹿ヶ谷哲夫の娘の澄江がはじめて父の前で口を開いた。
「お年寄りは、ご自分の殻で凝り固まっていやはるから、父の話は荒唐無稽に聞こえてしまうんどすな・・・」
この場面が恵美子の人生の分岐点だったのである。