(その十三)生きものの本来性

友情は愛情を凌駕する。
知性を得た人間の究極のテーマだ。
キリスト教は愛を強調する宗教だが、イエス・キリストは愛など説いていない。
愛は愛憎の一面に過ぎないことを、イエス・キリストは知っていたからだ。
だが、愛憎を超えたところに友情がある。
言い換えれば、愛情は部分愛に過ぎず、友情は全体愛に他ならないからである。
人間ひとり一人も、誕生して生きてそして死んでいく過程の中で、この真理を知っていく、そして、知った時に死が訪れるのだ。
その時期が凡そ70才なのである。
つまり、人間の寿命は本来70才であり、35才が折り返し点なのである。
まだ二十才である藤堂頼賢が、この真理を知ったのは、恵美子との得も言われぬ出逢いにあったことは言うまでもない。
人間の潜在能力発揮度が如何に低いかを逆証明している。
自然社会ではこんなことは日常茶飯事だ。
愛情は35才までで卒業すべきで、以降の35年は友情に相転移することが、人間の本来性なのだ。
藤堂頼賢と恵美子は、少し早く気がついただけである。
人間の本来性から鑑みれば、7才から14才で気がつくものなのだ。
他の生きものは、誕生したその瞬間から自立を目差す。
だから、彼らは生まれた直後から自分で立ち、自分で歩きはじめる。
それが本来性なのである。