(その十三)天皇家と徳川家

洛東の鹿ヶ谷とは、京都の鬼門中の鬼門である鹿ヶ谷のことであり、鹿ヶ谷の主が鹿ヶ谷家であり、鹿ヶ谷哲夫は国津神系の32代目当主である。
一方、比丘尼御所の霊鑑寺とは、第百八代・後水尾天皇ゆかりの門跡であり、その辺りを御所の段町と呼ばれている。
後水尾天皇は徳川三代将軍、家光の妹を皇后にした天皇であり、天皇が自分の娘、すなわち、皇女を開基として創建した寺が霊鑑寺で、代々、皇女が住職を務めたので、谷御所、鹿ヶ谷比丘尼御所とも呼ばれている。
だが、第百八代・後水尾天皇の御陵は、第百十八代・後桃園天皇までを十一把一絡げにした東山の今熊野にある「月輪陵」であり、更に、第百十九代・光格天皇から第百二十一代・孝明天皇までを祭った「後月輪陵」は、「月輪陵」と同じ場所にある。
これらの天皇に対して、第百二十二代・明治天皇の「桃山御陵」が同じ伏見にあり、その規模は広大である。
第百二十二代・明治天皇は、第百八代・後水尾天皇から第百二十一代・孝明天皇までの十四代の天皇とはまったく違うのである。
何故、広大な「桃山御陵」に祀られている明治天皇の父君である孝明天皇の御陵が十四把一絡げの天皇陵なのか。
その秘密を知り尽くしているのが、鹿ヶ谷の主である鹿ヶ谷哲夫だ。
「何故、後水尾天皇は徳川三代将軍、家光の妹を皇后にしたのか?」
嘗て、鹿ヶ谷哲夫が藤堂頼賢と恵美子に話をしたことがある。
「徳川家康は、実は南朝系、つまり、後醍醐天皇の血を引き継いだ人物だったのである」
「斉藤道三が土岐家に入り込み、美濃の国盗りをしたように、徳川家康は松平家に入り込み、岡崎の国盗りをした男なのである」
「徳川家康、つまり、松平元康の本当の名前は、世良田元信であって、その幼名は江田国松というのだ」
驚くべき事実が世に明らかにされようとしているのだ。