(その十三)人生の転機

福沢綾子からの古代日本誕生の秘話の詳細を綴った手紙を読んだ恵美子は、自分の使命を何気なく感じ取っていたが、あらためて明治維新後の「新日本誕生」の秘話を鹿ヶ谷哲夫のから聞くことによって、自分の身体が大きく変わっていくのを自覚したと同時に、鹿ヶ谷哲夫に教えてもらったことだが、肉体の変身が精神の変身を齎す真実を体感した。
榊原温泉での体験がまさしくそのことが真実であることの証明だったのである。
榊原温泉での体験がなければ、彼女が今年の「鴨川をどり」で「日本誕生」の舞踊劇に出演することはなかっただろうし、ましてや、ヤマトタケルノミコトを演じることなど、恵美子の生来消極的な性格から考えられなかった。
何事にも引っ込み思案で、人前で喋るのが大嫌いで、どちらかと言うと、職人気質の性格であった。
本人も子供の頃から自分の気質に気づいていたようで、こつこつと自分の殻に閉じこもってする仕事が好きだった。
長兄の亨が大学に入学した時に、母親の倫子に自分の将来について告白したことがあった。
「お母はん、うち、小間物づくりが好きやから、大学行くんやったら家政科に行きたい!」
この一言が恵美子のその後の人生を大きく変えていった。
恵美子を大学などに進学させるつもりが端からなかったのは、母親の倫子ではなく、父親の正三だった。
畑家の家訓がそうさせたのである。
正三の意を酌んだ倫子が敵役を買って出たのだが、その後の恵美子の人生にとって母親の倫子の存在は大きな重石となっていくことになった。
恵美子の純粋な夢を、母親の倫子は無残にも打ち砕いた。
「あんたは大学なんかに行かんでいいんどす!」
二人の兄が受験勉強に頑張っているのを支援している母親の姿に好感を持っていたのに、恵美子には合点が行かなかった。
「あんたは、舞妓になるんどす!」
14才の恵美子に人生初の転機がやって来た、そして、それから6年の歳月が過ぎたとき、藤堂頼賢が彼女の前に現れたのである。