(その十三)渡来人スサノオノミコト

唐王朝が中国歴史の中で最も隆盛を極めたのは、高句麗を傘下に治めたからである。
元朝が最大の勢力範囲を広げることが出来たのも、高句麗の流れを汲んだ高麗を傘下に置いたからである。
高句麗と同じ扶余族の百済は、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで、天智朝と連合した結果、新羅・唐連合に敗れ滅亡した。
高句麗も、唐と連合した新羅に滅ぼされるが、末裔の高麗が918年に新羅を滅ぼし、936年朝鮮半島を統一した。
そして1392年、明の朱元樟に滅ぼされるまで、高麗は元の傘下で朝鮮半島を支配していた。
唐、元、明は常に高句麗・高麗をその傘下におくことで、大王朝を維持していたのである。
その理由は、高句麗・高麗の鉄を利用したからで、その高句麗・高麗は出雲から鉄を入手していた。
その出雲を支配して、鉄器を高句麗に送っていたのがヤマタのオロチで、当時の倭国で出雲は最重点戦略地域だったのだ。
銅製武器しか持っていなかった九州や四国、畿内を本拠地にしていた農耕型民族である弥生人にとって、気候的には決して恵まれた地域ではなかったが、鉄鉱石の産地であることで、鉄器を持つ出雲狩猟型民族は脅威であった。
紀元前後の日本は、まだ統一された国家ではなく、地域毎に民族の違う、多民族国家であった。
農耕型民族である弥生人の間では、食料の蓄積が可能なことから貧富の差ができ、支配階級と非支配階級に区分けされ、支配階級が大きな力を持つに至り、国家としての基本形態へと進化していった。
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトに移行出来たのに対して、狩猟型民族である縄文人の食料が熊や鹿といった備蓄の利かないものだったため、必然的に平等社会の形態、つまりゲマインシャフト共同社会から抜け出せなかった。
戦をさせたら縄文人の方が腕力があって強い。
鉄器を持つ出雲人は更に強力になる。
出雲が最重点戦略地域であったのは、こういった理由からである。
人間という腕力的には最も弱い動物でありながら、腕力の強い他の動物を、その支配下においていった歴史に象徴される。
村落集合体から国家に進化していく過程が、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行であり、支配集中権力と個別腕力(暴力)のパラドキシカルな関係となるのである。
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行の狭間であった当時は、出雲を制した者が、日本の支配者になれる最大の要件であった。
ヤマタのオロチの切り札はここにあったのだ。
だが、酒と女に溺れたヤマタのオロチは、人間的ではあったが、支配勢力の拡大にとって一番大事なことに気づかなかった。
出雲にやって来たフツシは、このことに気づいていた。
渡来人フツシが須佐乃男命(スサノオノミコト)になった瞬間だった。